「好きになった人が女性でした」
この発言をすると大抵の人が驚き、興味深そうにいろいろと質問してきます。女子サッカー選手として話をしているので、当然といえば当然なのかもしれませんが、長くこの世界に身を寄せてきた私としては、その事実にびっくりします。
サッカーチームに入ったのは小学4年生にあがる直前のこと。当時の私は「お姉ちゃんだから/女の子だから」というような言葉に泣きながら反抗するようなこどもでした。外で生きづらさを感じる一方で、ピッチでは性別や年齢なんて関係ない。見た目がボーイッシュだったので尚更溶け込み、なにも気にすることなく、ただボールを蹴ることに夢中になれる。私にとって、そんな心地よい空間でした。
女子サッカーとの出会いは中学のとき。その頃になると、恋バナで盛り上がるようになり、「女の子でも女の子を好きになっていい」ということを知りました。高校にあがる頃には、誰が誰と付き合っているという噂を聞いたところで、驚きもなにもなくなっていました。見た目の表現に関しても、いわゆる”女の子らしい”もの以外に様々でしたし、心からありたいと思える自分でいられる。当時すでに家を出ていた私にとって、様々な面で自由になれた気がしていました。
多様性や自分らしさという言葉を至るところで見かける時代となりましたが、女子サッカー界は昔からずっとそういう世界観です。メンズライクな見た目をしていようが、交際相手が女性であろうと、それがその人の個性だと受け入れられます。見た目の表現に話を限定すれば、アメリカ、ドイツにいた頃と比べても、日本での方が遥かに自分らしくいられる空間だと感じています。
たぶん私は「サッカーが好き」というより、「ピッチに立つことで生きやすくなれた」からこそ、今も現役を続け、サッカーにこだわっている部分がると思います。高校生のときぐらいから、「女子サッカーを文化に」という言葉を繰り返してきましたが、それは私なりの恩返しの気持ちなのかもしれません。