少し前ですが、日本サッカー協会会長である田嶋幸三氏も、今回のカタールでの人権問題に関して言及しています。
差別や人権問題に関して、協会としていい方向に持っていきたいとするも、大会期間中となる今はサッカー以外のことを話題にすることは好ましくないとし、また他国へも同様の対応を望むと発言されました。
個人的にはあまりよくない意味で政治家っぽく、ある意味で余計なことをしないに徹するのだなと、そういった印象を受けています。
ある文脈でのスポーツは、特に世界規模のような大きなイベントとなると、政治と切っても切れない関係にあるものです。
ちょうど昨年に東京五輪を開催したばかりなので、もしかしたらこのような話でもすぐにピンとくる方も多いかもしれません。
また、昨年のオリンピックはIOCが政治的主張の一部を認めた大会でもあります。
出場アスリートの中には実際に人種差別のような問題に日々直面する背景を抱え、オリンピックという大一番でポジティブなメッセージを発信したいと考える人もたくさんいるので、そのアクションが一部でも認められたことはとてもポジティブだと思います。
ただ一方で、フェアであるはずのピッチ上に政治をそのまま持ち込んでしまうことはとても危ういことだとも感じています。
選手がポジティブな変化を求めて声をあげるといのはとても素晴らしいことですが、それらは自分の意思があっての自立したものでなくてはなりません。
ピッチ上のドラマは、ありとあらゆる人種や文化、価値観を超えて、みんなが惹きつけられ、熱狂させます。
少し逸れますが、ユース年代でアジア予選を戦ったとき、滞在先のホテルに全出場国チームがおり、その中にはもちろん北朝鮮チームもいました。
私にとっては生まれて初めて出会う北朝鮮の人たちで、あれだけ閉鎖的な国であってもスポーツイベントには足を運んでくるのだと、スポーツの輝くような可能性にただ純粋に感動しました。
そういうスポーツの可能性というものを守れるのは選手たち自身に他ならないのです。
そういった意味では、もし自国の選手たちに自信がないのであれば、今回のように喋らせない、行動させないという対応がある意味で正解なのかもしれませんが、本当に大事なことは、誰かに喋らされるのではなく、自分で考え、自分の言葉で話せる/行動できる(またはしないことを選択できる)アスリートの成長を促すことではないでしょうか。