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通算284勝の史上最高のサブマリン山田久志の年俸は今ならいくら!?

球界のレジェンド今なら年俸はいくら?

今や1億円プレーヤーなど当たり前になった日本球界。もしも、昭和を代表するレジェンド選手たちが現在の日本球界でプレーしたら、いくら稼ぐのか!?妄想企画、スタート!

サブマリンから通算284勝。昭和後期のプロ野球界を代表するエースだった

阪急黄金期を支えた史上最高のサブマリン:山田久志
【妄想生涯年俸】
75億4700万円
(年平均3億7735万円)

1970~80年代の阪急(現オリックス)をエースとして支え、通算284勝を挙げた史上最高のサブマリン、山田久志。阪急一筋30年、黄金時代を築き上げた右腕のキャリアを振り返るとともに、その「妄想年俸」を算出してみよう。山田久志は1968年ドラフト1位で富士製鐵釜石から阪急に入団。同年ドラフトは田淵幸一、星野仙一、山本浩司(浩二)、有藤通世、大島康徳、加藤秀司、福本豊、東尾修などが指名され、「史上最高のドラフト」の呼び声も高い大豊作の年。そんな年のドラフト1位であることを考えれば、1年目の年俸は新人上限額の1500万円が妥当だろう。ただ、1年目はわずか7試合の登板に終わるなど、プロの壁にぶち当たった。当時の阪急には米田哲也、梶本隆夫といったいわゆる「レジェンド」が健在で、投手陣の層は12球団屈指。プロ1年目の若造が、いきなり活躍できるほど甘くはなかったのだ。この成績であれば、正直年俸ダウンは免れない。1年目のオフでいきなりの大幅減額はないので、ここでは現実的に1200万円と設定させて頂く。

2年目を迎えた山田久志はこの年、飛躍のきっかけをつかむ。52試合に登板(先発は18試合)し、17敗を喫したものの勝ち星を2ケタに乗せ、存在感を示した。先発18試合、リリーフ34試合という登板数は現在のプロ野球ではちょっと考えにくい。よって年俸算出が難しいが、ここは2ケタ勝利と189回という投球回数を評価し、一気に4000万円まで跳ね上げてみよう。そして翌年以降、山田久志は「史上最高のサブマリン投手」への道を歩み始めることになる。2年目の1970年から始年まで、実に17年連続2ケタ勝利。今では考えられない驚異的な記録だ。ただ、ひとつ付け加えておきたいのは、山田久志が活躍した1970~1980年代は投手の先発ローテーションが確立され始めた時期と重なるということ。

たとえば稲尾和久、金田正一の時代のように、連投当たり前、シーズン30勝当たり前というような時代とは、少し違う。実際、「先発数」だけで見ると山田久志はシーズン30試合以上を一度しか経験していない。比較的現代に近い環境の中での17年連続2ケタ勝利の価値は、やはり高い。1971年には22勝を挙げ、最優秀防御率のタイトルも獲得。当然、年俸は1億円の大台に乗るだろう。翌1972年も20勝を挙げ、年俸はさらに倍。17年間、一度も2ケタ勝利を逃さないのだから、当たり前だが山田久志の年俸が下がることはない。1977年には現在であれば国内FA権を取得。76年に29勝、翌年も16勝を挙げたことを考えれば、争奪戦は必至。史実では阪急一筋だが、現在であれば巨人、阪神あたりが巨額契約を提示して獲得に動くに違いない。ただ、ここではあくまでも史実にのっとってFA権を行使したうえでのチーム残留という想定で話を進めたい。

契約総額はズバリ4年総額20億円。正直、安すぎるくらいだが、現在の野球界は選手の年俸が5億円程度で頭打ちの感があるため、複数年契約という形で現実味を持たせてみた。以降はシーズン20勝にこそ届かないが、コンスタントに15勝前後を記録。そもそも現在のプロ野球界では15勝で超一流。それを毎年こなすのだから、恐れ入る。この頃には先発ローテーションも確立され、登板数や投球回数に現在との乖離も見られない。だからこそ余計に山田久志の凄みを実感できる。86年には38歳ながら14勝9敗、さらにはリーグ最多の15完投を記録。もはや、「異次元」の数字だ。年齢的には長期契約は結べないだろうが、それでも2年10億円くらいは出さないと失礼にあたる。しかし、87年に12年間続けてきた開幕投手の座を逃すと、同年7勝、88年には4勝に終わり、現役を引退。妄想生涯年俸は通算75億円超え。やはり、レジェンド、だ。

 

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