モンスターの伝説
ボクシングのリングのサイズは18フィート(5・47メートル)以上24フィート(7・31メートル)以内と定められている。
テレビの画面越しには狭く見えるが、実際にリングに立つと、赤コーナーから青コーナーまでは、随分距離があるように感じられる。
フットワークの軽い軽量級のボクサーが、足を使って逃げ回ると、捕まえるのは容易ではない。たとえるなら、逃げ水を相手にしているようなものだ。
さる12月13日、井上尚弥が世界バンタム級の4団体統一をかけて戦ったポール・バトラー(英国)も、そんな選手だった。
アクシデントにでも見舞われない限り、井上が負ける可能性は、ほぼゼロだった。それくらい両者の戦力には差があった。
なにしろ井上は、あらゆる階級を通じて最強を決める米リング誌の「パウンド・フォー・パウンド」1位に選ばれたほどの実力者である。バトラーが逃げ回るのは、はなっからわかっていた。
だから、この対戦が決まった時に、こう語ったのだ。
「倒されないボクシングを徹底された時に、自分がどう展開するかを準備している状況です」
案の定、初回からバトラーは逃げ回った。勇気がない、というのではなく、それしかできなかったのだ。
業を煮やした井上は、中盤、バトラーに向けてノーガードで顔を突き出したり、両手を後ろに組むなどの“挑発行為”を繰り返した。
「何しに日本に来ているんだ。勝つ気はあるのか。自分の中で(バトラーは)どうなのかな、という思いはありました」
普通、これだけ挑発されると、「ナメンなよ!」となるものだが、WBO王者の士気は、一向に高まらない。冷静なのか、それとも単に臆病なのか……。
それでも11ラウンド、井上は強引に幕を引いた。右ボディからの左フックで突破口を開き、さらにボディへの連打でとどめを刺した。前のめりに倒れたバトラーに、立ち上がる余力は残っていなかった。
試合後、4つのベルトをテーブルの上に並べた井上は「判定勝ちならやり切れなかった」と語った。続けて、「バンタム級で4団体を統一し、もうやり残したことはない」とも。
アジア人初の4団体統一を達成した井上の次なる目標は、日本人2人目の4階級制覇。モンスターの伝説は、ボクシングにたとえるなら、まだ7ラウンドか8ラウンドあたりか。クライマックスを迎えるのは、これからである。
※上部の写真はイメージです。
初出=週刊漫画ゴラク2023年1月6日発売号