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村田兆治、門田博光。侍(サムライ)へのレクイエム【二宮清純 スポーツの嵐】

Text:二宮清純

真っ向勝負を演じた二人

 昭和のプロ野球、とりわけパ・リーグにはサムライが多かった。その代表格である通算215勝の村田兆治さんに続き、通算567本塁打の門田博光さんも亡くなった。

 村田さんは享年72、門田さんは享年74だった。

 ロッテのエースだった村田さんは、南海(その後オリックス―ダイエー)の主砲・門田さんを通算打率2割3分4厘に封じている。その一方で、14本ものホームランを浴びている。これは山田久志さんの26本、東尾修さんの15本に次ぐ本数だ。

 要するにホームランか三振かと真っ向勝負を演じてきたわけである。斬るか、斬られるか。殺るか、殺られるか。果し合いのような殺気にみちた空気が18・44メートルの空間にはみなぎっていた。

 2人には共通点がある。それはプロ野球生活が危うくなるようなケガを負いながら、地道なリハビリを経て奇蹟の復活を遂げたことである。

 村田さんは40歳、門田さんは44歳まで現役を続けた。

 村田さんがヒジ痛に見舞われたのは82年のシーズン。痛みに襲われた瞬間、背筋に悪寒が走り、腰がガクンと落ちた。「まるでノックアウト負けをくらったボクサー」のような衝撃だったという。

 溺れる者はワラをも掴む、というが、この時の村田さんがそれだった。ヒジに効果があると聞けば、何でもやった。焼酎漬けのマムシを痛む右ヒジに巻きつけ、同僚から奇人呼ばわりされたこともある。

 ロサンゼルスで左ヒジの腱を右ヒジに移植する、いわゆるトミー・ジョン手術を受けた村田さんは、死に物狂いのリハビリを経て、818日ぶりに1軍マウンドに復帰した。

手術前の156勝と手術後の59勝。どちらが価値があるがあるか、と問うと村田さんは迷わず「59勝」と言い切った。「人生先発完投」。それが座右の銘だった。

 一方の門田さんが右アキレス腱を断裂したのは79年の春季キャンプ中である。

「ウォーミングアップにジャンプする運動があって、地面を蹴り上げた瞬間、バチーンとものすごい音がした」

 入院中、真っ先に頭に浮かんだのは「家のローン」のことだった。

「もう野球で返すことはできんなァ……」

 入院生活も長くなると、ある種、諦観の念が湧いてくる。

「もう守るのは無理や。この先はバット1本(DH)でやっていこう」

 81年、44本塁打で初の本塁打王、88年には40歳で本塁打と打点の2冠王、そしてパ・リーグMVPに輝くのである。

 文字通り野球に魅入られ、野球に殉じた二人だった。

※上部の写真はイメージです。
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