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日本ゴルフ界を支えたレジェンドたち〜File2 尾崎将司①

Text:村木俊昭

甲子園優勝投手としてプロ野球の道へ

半世紀以上にわたって、日本ゴルフ界に影響を与え続けてきた、いや、今もなお与え続けている選手がいる。そんな稀有な存在が尾崎将司(77)だ。

尾崎は1947年に徳島県で生まれた。最初に発揮したのは野球の才能で、64年の第36回選抜高等学校野球大会に徳島県立海南高等学校の投手として出場し、初出場で初優勝を飾る。

翌年、プロ野球の西鉄ライオンズに入団。投手成績は2年間で20試合に登板し0勝1敗、3年目に外野手転向するも42打数2安打と振るわず、67年でチームを去った。

ゴルフに転身し、早々と開花

退団後はプロゴルファーを目指し、70年のプロテストに23歳で一発合格。
それまで本名の「正司」で活動してきたが、プロ合格を機に現在の「将司」へと改名した。

野球で培った体力と、181cm・90kgと恵まれた体格から生まれる類まれな飛距離を武器に、プロ2年目の71年9月、日本プロで早くも初優勝を飾る。
その巨体と豪快なショットから、その頃、日本に導入が始まったジャンボジェット機「ボーイング747」にちなんで、「ジャンボ」というニックネームが定着。同年だけで5勝を挙げ、一躍トッププロに上り詰めた。

賞金ランキングによるシード制が始まった73年にも5勝し、初代賞金王を獲得。74年には6勝を挙げて連覇し、77年も4勝して3度目の賞金王に輝いた。

70年代後半になると、78年から賞金王を4連覇した青木功(81)、82・83年に連覇した中嶋常幸(69)とともに、3人のイニシャルを合わせたAON時代が到来。ゴルフ界を大いに盛り上げた。

復活後は長い黄金時代を築く

だが、尾崎自身は30代前半でドライバーショットの不調に苦しみ、OBを連発。81〜85年にかけてわずか3勝しかできなかった。

しかし、86年に4勝、87年に3勝を挙げて見事に復活。88年に、11年ぶりに賞金王の座を奪回すると、98年までの11年間に9度と、賞金トップをほぼ独占した。

96年のダンロップフェニックスでプロ通算100勝を達成。
最後の優勝となった2002年の全日空オープンでは、55歳7カ月29日というツアー最年長記録を樹立した。

05年マンダムルシードよみうりオープンでは、通算出場が1000試合に到達。
13年つるやオープンでは66(当時66歳)、17年HONMA TOURWORLD CUPでも70(当時70歳)でエージシュートを達成した。日本ツアーでエージシュートを記録した選手は尾崎以外にはいない。

通算勝利数はツアー94勝を含む113勝。19年を最後にツアーから離れているが、現在は別の形でツアー隆盛に大きく貢献しているーー。

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