助っ人外国人列伝/バファローズ編
日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ名選手10名を紹介する。
64試合で30HR到達というプロ野球タイ記録で年間49発放った!アレックス・カブレラ
【8位】アレックス・カブレラ
〈NPB通算データベース〉
・打率 .303
・本塁打 357本
・打点 949打点
筋肉の鎧をまとった飛ばし屋
NPBには規格外のパワーでホームランを放った数多の助っ人外国人が来日している。そのなかで「飛ばし屋ナンバー1」として呼び声が高いのがアレックス・カブレラだ。
残した数々の実績、そして卓球の球のようにスタンドインさせたインパクトを考えると、もう少し上位にランクインして然るべきだが、他チームからの移籍組のため第8位とした。
さて、日本のプロ野球ファンならなじみ深いカブレラ。だが、ブレイクするまでの道のりが険しい苦労人であることはあまり知られてない。
1971年にベネズエラで生まれたカブレラは、20歳のときにメジャーリーガーを夢見て渡米。1991年にカブスとマイナー契約を結ぶも5年間で一度もメジャーに上がることはなかった。
その後、1997年からはメキシカンリーグや台湾リーグの球団を転々とし、2000年に移籍したダイヤモンドバックスでメジャーに上がる。
メジャー初打席では初打席初本塁打を達成しているが、圧巻の飛距離に同僚で300勝投手のランディ・ジョンソンが呆れたほどだったという。
しかし、調子が良かったのは最初だけで、メジャーでは5本塁打に終わった。そしてシーズン終了後にダイヤモンドバックスがカブレラの保有権を西武に譲渡したことで日本にやって来たのだ。
来日時に空港を降り立ったカブレラを見て多くの報道陣が驚愕する。身長は185センチながら、腕回り46センチ、胸囲115センチと、これまでの助っ人外国人にはいない筋肉の鎧をまとっていたからだ。
オリックスでは長打に加えて好打も光った
本企画はオリックス編のため、カブレラが西武時代に残した功績は割愛しながら記す。
初年度の2001年は64試合で30本塁打に到達というプロ野球タイ記録で年間49発、翌年は当時の日本タイ記録となるシーズン55発、さらに2003年も50発と、主砲として非の打ち所がない長打力を披露する。
豪快すぎるスイングでボールを捉えると看板直撃やドーム天井直撃は当たり前。その飛距離もすさまじく、推定170メートル超えの特大弾を何発も放つ姿に西武ファンは歓喜しただろう。
こうして西武の頼れる主砲として7年間プレーしたカブレラだったが、高額年俸がネックとなって2008年にオリックスへ移籍する。
新天地1年目の春先は調子が上がらなかったが、交流戦に入ると本領を発揮。サヨナラ本塁打を打たれたことのなかった中日の守護神・岩瀬仁紀から2ランを放ち、NPB934試合で最速の300号本塁打を達成した。
また、8月には打率4割を残して月間MVPを獲得。西武時の後期に長打力の低下を指摘されていたが、打率.315、36本塁打、104打点と堂々たる成績を残した。カブレラの加入により、長らく低迷していたチームは9年ぶりとなるAクラス入りと躍進している。
翌2009年はチームメイトのファールボールが直撃して全治2ヵ月の負傷を負ったが、復帰した7月は月間打率.409を記録して6度目の月間MVPを受賞した。
なお、オリックス時代のカブレラは打率.320、出塁率・407と西武の頃よりも上昇している。これはカウントが不利になると軽打に切り替えるチームプレーをするようになったからであり、カブレラが一発だけが取り柄のブンブン丸でないことを証明している。
疑惑がつきまとった晩年の野球人生
2010年も打率.331、24本塁打、82打点と好調を維持したカブレラは、通算4000打数に到達して歴代2位となる長打率.614を記録する。規定打数に達した長打率で6割を超えたのはカブレラと王貞治のみであり、いかに優れた助っ人外国人であったかが窺い知れる。
そして、契約問題がまとまらなかったカブレラは、このシーズンをもってオリックスを退団。2011年からソフトバンクで2年間プレーし、日本を去った2013年からはベネズエラのウィンターリーグやメキシカンリーグに活躍の場を移した。2016年まで現役を続けたカブレラは、引退後に母国で牧場経営をしている。
また、長男のラモン・カブレラもレッズでメジャーデビューを果たしており、2021年から茨城アストロプラネッツなどの独立リーグでプレーした。カブレラ親子はともにメジャーと日本でプレーしていたのだ。
なお、カブレラは2014年に禁止薬物のステロイドを使用したとしてメキシカンリーグを永久追放されている。西武入団直後のNPB時代も異様な体つきとパワーに薬物疑惑が向けられ、2004年頃から筋肉が落ちて体が小さくなった事実もある。
ただ、禁止薬物を使用した決定的な証拠現場を目撃した選手、関係者はおらず、真相は明らかになっていない。
それでも背中を後方に反る構えから豪快なアッパースイングで打ち込んだ豪快弾は球史に残り、カブレラ風の独特なフォームを取り入れた中日の中田翔や平田良介などに与える影響力も大きかった。
公開日:2024.01.29