助っ人外国人列伝/バファローズ編
日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ名選手10名を紹介する。
NPBの外国人選手として初の三冠王に!「ブーム」を巻き起こしたNo.1助っ人!ブーマー・ウェルズ
【1位】ブーマー・ウェルズ
〈NPB通算データベース〉
・打率 .317
・本塁打 277本
・打点 901打点
文字通り「ブーム」を巻き起こしたナンバー1助っ人
他チームを圧倒する強さで3年連続で2023年のペナントを制したオリックス。再び黄金期を迎えている同チームの歴史は古く、NPBの歴史に刻まれる実力派や記憶に残る個性溢れる選手など、多くの助っ人外国人が入団している。
そんなオリックスで「ラブすぽ」編集部が選んだナンバー1助っ人がブーマー・ウェルズだ。1度聞いただけで忘れられない名前、身長2メートル・体重100キロとわかりやすい巨漢体型。オリックスの前身球団・阪急のナンバー1助っ人であることはもとより、阪神のランディ・バースと並ぶ史上最強助っ人と評する人も少なくない。
後に日本で大活躍するブーマーは幼い頃からさまざまなスポーツに興じ、大学時代はアメリカンフットボールの選手だった。1975年にニューヨーク・ジェッツに入団してNFLのプロ選手となるが花開かず、わずか1年で野球に転向する。
しかし、MLBは言わずと知れた世界最高峰のプロ野球リーグ。高い壁に阻まれたブーマーは、パイレーツ、ブルージェイズ、ツインズと渡り歩くも、メジャーでの試合数はわずか47試合で本塁打はゼロだった。
1983年にツインズを戦力外になると、球団はブーマーに告知しないまま阪急とトレード交渉を進め、気がついたら日本行きが決まっていたという。つまり、ブーマーは望んで日本に来たわけではなかったのだ。
こうしてよくわからないまま阪急入りしたブーマーは、予想外に注目集める。
当時、ブーマーほどの巨漢選手は珍しく、春季キャンプで場外本塁打を連発する姿を見た高齢者が衝撃のあまり心臓発作で倒れてしまうなどの珍事で一躍脚光を浴びたのである。
そして阪急での初年度は持ち前のパワーを活かしたパワフルな打撃に加え、巨体から想像できない広角打法が冴え渡り、打率.304、17本塁打、62打点の高成績を残す。
プロとして1年間を通したプレーが初めてだったブーマーは、後のインタビューで「日本に来てプロになったことを実感した」と語っている。
NPBの外国人選手として初の三冠王に
ブーマーのプレースタイルは、体格から想像するとパワーヒッターのイメージが強いが、実はそうではない。意外にも配球を読む頭脳派で優れた選球眼を持ち、柔らかなバットコントロールを駆使したアベレージヒッターである。
また、研究熱心でもあったことから2年目になると日本野球に順応して打棒が爆発する。開幕からクリーンアップに座ると、コンスタントに安打を重ねて首位打者をひた走り、シーズンオフに取り組んだウェイトトレーニングにより長打力もさらに上がった。
1984年は打率.355、37本塁打、130打点と暴れ回り、助っ人外国人初の三冠王という快挙を達成。阪急としては最後のペナント優勝に大きく貢献した。
この時代のパ・リーグにはロッテの落合博満や日本ハムのトミー・クルーズなどがいたが、並み居る強打者を抑えての三冠王獲得は実力の裏付けであり、助っ人外国人で初のMVPにも輝いている。
ちなみにブーマーの本名は「グレゴリー・ウェルズ」だが、「ブームを呼ぶ男」になってほしいと期待されたことで登録名がブーマーとなった。
その期待に応えたブーマーは、毎年のように3割、30本を悠々とクリア。1985年からの2年間は落合に三冠王を譲ったが、打撃成績は肉薄しており、どちらがタイトルを獲得してもおかしくなかったほどである。
実際に1989年は打率.322、124打点で二冠王を獲得するなどタイトル争いの常連であり、1980年代を代表する助っ人外国人としてチームの要となった。
また、西宮球場の左翼スタンドのはるか上を超えて球場に隣接する高速道路の高架橋に当たった推定飛距離162メートルの超特大本塁打や、しつこい内角攻めにキレて思わずバットで左翼席を指差し、そのままスタンドに叩き込んだ予告ホームランなども印象深い。
恩義のため阪急に尽くした野球人生
こうして日本で大成功を収めたブーマーは阪急に9年間在籍。ブレイク後、NPBやMLBの他球団から移籍の話が持ち上がったが、球団と監督だった上田利治への強い恩義から移籍することはなかった。
1992年は前年から新監督になった土井正博との確執からダイエーに移籍。当時38歳とピークを過ぎていたが打撃技術はさすがのもので自身4度目の打点王に輝いている。
それでも満足できるパフォーマンスをできないことを理由に、ブーマーはこの年で現役を引退。アメリカ帰国後は、オリックスの臨時コーチやアメリカと日本の野球界の橋渡し役となる代理人となり、1998年から2年連続本塁打王になったナイジェル・ウィルソンなどの助っ人外国人を送り込んだ。
現在、69歳になったブーマーは、トレードマークだったアフロ風の髪の毛は抜け落ちたが、巨漢体型は相変わらず。2023年に11年ぶりの来日を果たし、京セラドームで行われたファンミーティングと始球式で元気な姿を見せている。
公開日:2024.02.08