昨年10月5日、CSでの始球式に登場した御年95歳、今西錬太郎さん。年齢を感じさせないその投球に魅入られた筆者が、インタビューを試みる。第2回は今西さんの少年時代を辿る。
95歳。CSの始球式に登場した「伝説の巨人キラー」とは?(別タブで開きます)
伝説の巨人キラー、今西錬太郎②「お前、ちょっと来い」と呼ばれて」
3週間後、東京・中野区で次男夫妻と同居する今西さんの自宅を訪ねた。約束の午後1時、取材に同席する義娘の潤子氏に案内され居間に向かうと、またも驚くことに、普段着の今西さんはユニフォーム姿よりも若々しく見える。
挨拶を交わして座卓で面と向かい、即座に始球式の感想を尋ねた。
「大観衆のなかで投げましたよ。よう、使ってくれて、本当にありがたいことです。満員のスタンドから拍手もらってね、投げた後、ワーッとなるから、自然に手が上がりましたよ。はっはっはっはっは」
快活で張りのある声が部屋に響き、年齢の懸念が消し飛んだ。今から90年近く前の、昭和の初めの記憶を辿ってもらった。
「うちは親父から兄貴からね、代々、大阪で散髪屋をやってまして、僕は長男の家で生活してたんです。そうすると兄貴が散髪屋さんを集めて野球チームを作って、川の土手の広場でやる。僕はバットやグローブをかついで持っていって見てる。そういうことをずーっとやってるうちにだんだん野球に興味を持っ
て、自分でもやるにようになったんです」
浪商では1年でレギュラーに
当時は義務教育の尋常小学校(6年制)卒業後すぐに中学(旧制/5年制)に進む道と、2年制の高等小学校を経由する道があった。
野球の素質を見込まれた今西さんは担当教師に引っ張られ、高等小学校に進学。すると浪商では1年時からレギュラーになった。
「当時は藤井寺で浪商の冬季練習があってね。本田竹蔵ちゅうて、有名な人が特別コーチに来まして。僕はこの人に『お前、ちょっと来い』と呼ばれて、ノックされたんです。強くて速い打球、グローブで捕れないから、全部、体で受けたんですね。」
「そしたら『お前、セカンド行け』言われて。でも、1年生の僕がいちばん前にレギュラーでおって、後ろに上級生が5年生までいっぱいおるんですから、もう本当に小さくなってましたよ」
本田竹蔵は高松商で宮武三郎(慶應義塾大→阪急)、水原茂(慶應義塾大→巨人)とともに25年夏の甲子園に出場して優勝。
関西大では左腕投手として活躍し、ノンプロでは大阪鉄道管理局で都市対抗出場。同チーム監督就任時には大阪タイガース(現・阪神)初代監督として名前が挙がり、戦後は各地のノンプロで監督を務めた野球人だ。
いわばプロ級の目が認めるほど今西さんのレベルは高かったのだが、文献資料には〈中等野球で名高い
浪商にあって一年のときからずーっと投手をやっていた〉と記されていた。
「セカンドの期間は短いんですね。なぜかというと上級生のピッチャーが肩こわしたり、何か調子悪いんですよ。それで本田さんが僕を見たのか、『お前、投げてみい』っちゅなもんでね、ピッチャーになったんです」
取材協力:横浜DeNAベイスターズ、石塚隆
参考文献:『週刊ベースボール』(ベースボール・マガジン社)
ーー次回【伝説の巨人キラー今西錬太郎③「野球やれ」って、何ですか?】へ続く
(初出:【野球太郎No.033 2019ドラフト総決算&2020大展望号 (2019年11月27日発売)】)
執筆:高橋安幸
1965(昭和40)年生まれ、新潟県出身。日本大学芸術学部卒業。出版社勤務を経て、野球中心に仕事するライター。98年より昭和の名選手インタビューを続け、記事を執筆。著書に『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫) などがある。現在、webSportivaにて『チームを変えるコーチの言葉』、『令和に語る、昭和プロ野球の仕事人』、『根本陸夫外伝 〜証言で綴る「球界の革命児」の知られざる真実』を連載中。ツイッターで取材後記なども発信中。@yasuyuki_taka
【書誌情報】
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公開日:2020.03.07
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