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掛布雅之に岡田彰布など擁する阪神最強軍団はいかにして誕生したのか!?

Text:安東渉

あの頃はマジで最強だったなぁ……というファンの心を揺さぶれ!あの球団の黄金時代

●1985年の阪神タイガース
長いプロ野球の歴史の中で、どの球団にもある“黄金時代”。今回はあの阪神タイガースが、歴史上もっとも強く、そしてもっとも輝いた1985年を、ここでプレイバックしていこう!

【1985年成績】】
130試合74勝49敗】
打率.285 本塁打219 防御率4.16】
監督:吉田義男】
日本シリーズ結果(対西武):4勝2敗(日本一)

戦力が上手く噛み合い誕生した最強軍団

1985年に圧倒的な戦力で21年ぶりのリーグ優勝を果たした阪神。この強さは、この年だけの突発的な強さなどでは決してない。
一番の象徴とも言えるのが、吉田監督に「日本一の四番打者」とまで言われた掛布雅之だ。掛布が阪神に入団したのは1974年のこと。そこからその才能を徐々に開花ささせ、1979年には本塁打王に輝くなど、ミスタータイガースと呼ばれるまでに成長していた。掛布はこの後、1981年にキャリアハイとなる打率・341、1982年1984と年には本塁打王、1982年は打点王といったタイトルを獲得。油の乗り切った状態であった掛布に対し、世間はこの男がいつの日か阪神に、リーグ優勝という栄冠を授けるのではないかという、大きな期待を抱いていたのである。

また、掛布を中心とした他選手たちの成長も目覚ましいものがあったと言えよう。早稲田大学ではあの江川卓とも対戦し、東京六大学野球史に残る数々の記録を引っさげて入団した岡田彰布は、その力がプロでも通用することを証明しつつあった。そして1979年にクラウンライターライオンズから移籍してきた真弓明信も、二塁手としてスタメンの座を掴み、1984年には通算1000本安打を達成するなど、選手として最高の時期を迎えていたと言えるだろう。

そのほかにも、俊足と好守がウリの北村照文、勝負強い打撃がウリの佐野仙好、成長著しい正捕手の木戸克彦など、徐々に力を伸ばしてきた選手たちが、一斉にその最盛期を迎えようとしていたことも大きい。また、この成長の波は打撃陣だけでなく投手陣にも来ていた。大学、社会人を経て入団したエース候補の池田親興をはじめ、1980年のドラフト1位、中田良弘も先発陣の一角を任されるまでに成長。そして、1982年、1984年に最優秀救援投手を獲得している山本和行、入団2年目にして抑えに抜擢された中西清起のダブルスタッパーにも期待が高まっていた。

そうやって、細かな戦力が上手く噛み合いはじめ、徐々に最強の軍団へと姿を変えつつ会った阪神だが、1985年に一気に大ブレイクすることができたのは、様々な偶然が重なったことも大きいだろう。とにかく、1985年の阪神は、最初から最後まで神がかり的な強さを見せ、最後の最後までファンを魅了するような、そんな野球で優勝へと突き進んだのである。あの快進撃は、阪神ファンならずとも、誰もが心を熱くしたに違いないだろう。あの1985年の阪神フィーバーは、そうやって、起こるべくして起こった必然のムーブメントなのである。

出典:『がっつり! プロ野球(29)』

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