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周東佑京など16人ものプロ野球選手を輩出するまでに東農大オホーツクを変えた樋越勉監督の第一手とは!?

Text:高木遊

氷点下20℃の網走から人をプロ入りさせた大学とは!?~東農大オホーツク流プロ野球選手育成法~

日本の最北端からNPBへ16人もの選手を送り込む東農大オホーツク。なぜ、そこまで選手が育つのか――。その秘密に迫る!

たったひとりの監督の就任が全てを変えた

 オホーツク海に面した北海道北東部の網走市。ここに、一昨年のプレミアで足のスペシャリストとして侍ジャパンの優勝に貢献した周東佑京(ソフトバンク)ら人もの選手をNPBへ送り込んだ“虎の穴”がある。

それが東京農業大学北海道オホーツクキャンパス(以降、東農大オホーツク)だ。1989年に生物産業学部のキャンパス開設とともに創部され、東京都世田谷区の本部の野球部(東都大学野球リーグ)のOBである樋越勉監督(年春にコーチとして赴任、年の冬から監督に昇格)のもとで強化が本格化した。

 

とはいえ、立地は冬場には氷点下度にもなる極寒の北の最果て。最も近い大都市の札幌からも約330キロも離れており、樋越監督も飛行機から無限に広がる大地を初めて見た時は「ここで野球ができるのだろうか……」と不安に駆られたという。

そこから30年以上の月日が経ってもその環境にさしたる変化はなく、現役部員は「遊ぶところはあってもカラオケくらいですよ」と苦笑いする。それでもなお、好選手を輩出し続けている。樋越監督の赴任当初は、それこそ北海道の大地のような何もないところからのスタートだった。初めて目にしたグラウンドは白く「5月なのにまだ雪が残っているのか」と思ったが、白いぺんぺん草が生い茂っていただけだった。選手たちも「楽しくみんなで野球をやりたいので、当分の間はグラウンドに出てほしくない」と歓迎ムードは皆無だった。

それでも大学から強化を託されて赴任した以上、投げ出すわけには行かない。「本気」を示すため監督自ら率先して環境整備に励んだ。雑草を抜き、石を拾い、芝を刈る。ボロボロだった野球用具も当時、社会人野球の強豪だった北海道の大昭和製紙から支援を頼んだ。こうした本気の姿勢は選手たちも伝わり、やがては自ら雑草を抜き、石を拾い、道具も磨くようになっていった。

出典:『がっつり! プロ野球(29)』

『東農大オホーツク流 プロ野球選手の育て方』
著者:樋越勉

多くのプロ野球選手を輩出する北の最果て、北海道網走市にある東京農業大学オホーツクキャンパス野球部。恵まれた施設環境ではないにも関わらず、なぜ有力選手が育つのか⁉東農大学野球部のカリスマ、樋越監督の選手を見抜く眼力と、その育成術を紹介‼プロ野球選手の育て方、ドラフトへ送り込む手腕、練習環境の整え方などを、具体的に解説するプロ野球ファンや指導者必見の一冊。愛弟子の周東佑京のコメントも収録。

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