監督というより営業本部長
全日本大学野球選手権に出始めてからは選手も当初より獲れるようになった。とはいえ、場所は北の最果て・網走だ。信頼関係がなければ容易に来てくれることはない。
その信頼関係を築くために、当時はちょっとした繋がりでも“必ず会いに行く”ということを大事にしていた。「こんな選手がいる」と電話がかかってきたら、どんなところでも網走から足を運んだ。そうしたら高校の監督が「わざわざ来てくれた」と喜んでくれる。人との繋がりというか縁を大切にすることが、人を発掘する一番の要因だと思う。
少しでも縁があれば足を運んで縁を太く強くする。それこそ無名な大学と私だからこそ、時には太鼓を持ち、夜はお酒を飲んで唄歌って馬鹿やって。もうそれはもう監督というより営業マンの姿そのものだ。当時は私も若くて、監督は皆年上だから可愛がってもらって「じゃあこの選手はどうでしょう」と提案される。まずはそこからだった。
家族に会ったら「私が網走での兄貴になります。絶対に最後まで面倒見ますから」という熱意を伝えた。それが広がり、全国大会にも出ることで、だんだん良い選手が来るようになった。卒業してから就職した花屋の営業マン時代の経験が大いに生きている。営業マンなんて、たくさん行って契約を1つ取れるかどうか。でも、どんなに小さくても繋がりがあれば営業しに行っていた。
選手獲得には文字通り東奔西走した。日本学園高校で監督を務めていたこともあり人脈はあった。横浜隼人や聖望学園といった当時強くなっていく過程にあった高校に加え、名門中の名門である帝京やPL学園、沖縄水産にも足繁く通った。ただ行くだけでなく、覚えてもらうこと・面白がってもらうことも大事にした。
あえてウチには絶対来ないような選手を「ください!」と言ったりして「変わった奴だ」と面白がってもらった。しつこく通って覚えてもらうしかなかった。
PL学園の中村順司監督にはゴルフ場の風呂場に先回りして背中を流して“何やってんだ”と驚かせたり、沖縄水産の栽弘義監督とは奥さんとも仲良くなったりした。わざと田舎者の世間知らずを装って飛び込んでいった。後にPL学園からは小斉祐輔、沖縄水産から徳元敏と稲嶺誉がそれぞれプロに行くことになるが、そうした黎明期の種まきが花を咲かせた形になった。
出典:『東農大オホーツク流プロ野球選手の育て方』著/樋越勉
『東農大オホーツク流 プロ野球選手の育て方』
著者:樋越勉
多くのプロ野球選手を輩出する北の最果て、北海道網走市にある東京農業大学オホーツクキャンパス野球部。恵まれた施設環境ではないにも関わらず、なぜ有力選手が育つのか⁉東農大学野球部のカリスマ、樋越監督の選手を見抜く眼力と、その育成術を紹介‼プロ野球選手の育て方、ドラフトへ送り込む手腕、練習環境の整え方などを、具体的に解説するプロ野球ファンや指導者必見の一冊。愛弟子の周東佑京のコメントも収録。
公開日:2022.02.15