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本当の強いチームを作る為に必要な技術指導とは!?【東農大オホーツク流プロ野球選手の育て方】

Text:樋越勉

後継者

PL学園から来た選手の中の1人で、私の後を引き継ぎ、オホーツクの監督を務めている三垣勝巳もこのチームを語る上で欠かせない男だ。

出会いは、彼がPL学園に入学して間もない夏の大会前の練習であった。当時、ひと月に2度ほどPL学園のグランドを訪れて、中村監督のもとで選手の勧誘を続けた。その前にも何人かPLの選手が来てはくれていたが、実力的には二番手、三番手の選手だった。だが、その選手たちも本学のチームで核となり活躍してくれた。特に三垣の1年先輩である中辻は、キャプテンとして裏方に徹しチームを支えた。チームを統率する力、人間を動かす力はずば抜けた選手だった。

今は野球を離れて家業の不動産業で活躍しているが、やはりそのような人物なので、大阪で成功している。この中辻がPLから三垣を連れてくる大きな要因になったのは事実である。三垣は彼を慕ってこの北海道、網走の地に来てくれたのである。

私は三垣が高校1年生の頃から既に欲しい選手だった。グラウンドでその当時の野球部長である井元俊秀先生に「将来的に我がチームの4番を打てるような選手を紹介して欲しい」とお願いした。その時はPL学園に通い続けて3年経っていたが「レギュラーをください」とお願いしたのは、この時が初めてだった。その時井元先生が、「4番かあ、4番を打つだけなら彼が良い」と言って指をさした。

 

ただその指さす方向は目の前で打撃練習をしている先輩たちでは無く、グラウンドのネットの外で球拾いをしながらスイングをしている1年生たち。その中に三垣がいた。井元先生が「三垣を呼べ」と一言いうと、その言葉が伝達され、三垣がライトネットの外からホームまでダッシュで走ってきた。その時の彼の顔は強く印象に残っている。目力の強さを今でも忘れてはいない。

 

「三垣、ちょっとバッティングしてみろ」と言われた三垣は、「はい!」と返事をし、上級生に促されてゲージに入ろうとしたが、彼は何か慌てていてそのゲージの後ろにあった、1・3キロのマスコットバットを持ち、バッターボックスに立った。そして、5球を打った。5球のうち3級が柵を越え、強烈なパンチ力を私の前で見せた。5本打ち終わると、「ありがとうございました」と大きな声で言い、バットを丁寧に地面に戻し、全速力でライトに走って行った。今でも目に焼き付いている彼の後ろ姿を見ながら「この選手が3年になったらください」と井元先生に告げた。

「守れないし、走れないよ。特に足は遅いよ」と言われたが、私の目の前で打ったあの打球、あの長距離ヒッター特有の放物戦を描くホームランに私は確信した。「この選手がチームに来たら、4年間4番を任せる」

それが彼との初めての出会いだ。私はそれから2年半、PLに通い続け彼を観に出向いたが、それを彼は少しも知らずにいた。井元先生のご厚意でご両親にも早い時期に会わせて頂いた。

そこで印象的だったのは、お父さんは身体を壊し車椅子だったが、元は武道家だったそうで、眼光鋭く、勝負師を想像させる目をされていた。私は、ご両親に私の夢や5つの誓いの話をした。「どうしても息子さんの力が必要であり、息子さんの一生の面倒をみるので、どうか私に預けて欲しい」

その心が通じたのか、お父さんは涙ながらに「監督に全て預けます」と言ってくれた。彼は2年の秋口にはほぼ、本学に入る事で話が進んでいた。彼は3年の夏に、甲子園大会で松坂大輔を擁する横浜高校と死闘というほかない延長17回の今でも高校野球の歴史に残る戦いをした。三垣はその試合でも中心選手の一人だったが、そこまで三垣が育つとは誰も思っていなかったように思う。しかし、彼は私の考えた通りに成長し、PLの中心選手かつ影のキャプテンと言われる精神的支柱にまで育っていたのだ。

彼は人望も熱かったし、打つことに関してもPLの選手の中でも群を抜いていた。甲子園を終え、オホーツクキャンパスに見学に来た時は「どこに連れていかれるのか」「どのチームに入るのか」は全く知らされていなかったらしい。後に彼の話を聞くと「1年生の時に変なおっさんが度々来ているけど、どこのおっさんや?」と、ずっと疑問に思っていたらしい(笑)。3年間、私が北海道からわざわざやって来ているオホーツクの監督とはつゆ知らず「熱心に来てるおっさんがいるなあ」と思う程度であったという。

三垣自身、まさか自分がそのおっさんの元で野球をするとは、全く頭にはなかったようである。しかし、私は既に彼の両親の心を掴んでいたこともあり、親に促されて承諾し、何も知らずに網走までやって来たのであった。この田舎の大学に、PL学園の中心選手で、松坂大輔と死闘回を戦った金看板をぶら下げて入ってくれた最初の選手なのだ。過去にも甲子園出場の経験を持つ選手は何人も入部していたが、あくまで甲子園に出た、甲子園ボーイはいたが、金看板を背負ってきた選手は三垣が最初だ。

そして、私が最初に思い描いたとおりに、彼は入学後1年生から卒業する4年間、4番を打ち続けてくれた。私の中で「チームがさらに殻を破るには何か一つ足りない。何か物足りない」という気持ちが芽生え、自問自答する日々が続いていた頃(三垣コーチの就任時)だ。

選手を指導している時にふと気が付いた時があった。私は選手としては大した選手ではなかった。しかし、多くの人の支えや手助けでこのよう高校野球、大学野球の監督として年近くやらせて頂けている。考えてみれば、私の指導の裏付けは私が球拾いとして外から見てきた野球、野球観、技術指導だ。技術が無いことは十分自覚していたので、自分なりに勉強はしていた。著名な監督さんの指導を習い、高い技術を持つ選手の話を聞いたりした。

特にプロ野球の広島、オリックスのキャンプは何回も足を運び、プロの指導者の一言、しぐさを盗み見て自分のものにし、選手の指導に活かしてきた。また近年は、ソフトバンクホークスの一軍、二軍、三軍の同施設内のグラウンドで行われている練習メニューや、きめ細かい技術指導を見学して勉強していた。

だが私自身がそれを選手として体験したわけでもない。あくまでも目で見て、耳で聞き、頭で想像して選手に伝えてきただけなのだ。ここがやはり、本当の強いチームを作るには足りないのではないかと考えるようになっていた。

ここからさらに強くなるには、技術指導が本当に自身の体験から、また本当に上の世界で勝負を体験してきた人間の血をチームに入れなくてはならないと考えた。そこで1年間くらい考えたが、まず適任者をOBの中から探す事を考え、候補に何人かを挙げてみた。やはり候補になる選手は、社会人野球やプロ野球で活躍し、家庭を持ってこの世界で生きていること。ただ、それをこの北海道・網走まで連れて来るには、とても難しいことであった。

しかし、それをやらなければ、今の私のチームは上のランク、上の強いチームにはならない。そしてついにその適任者、運命を持った男が「野球から上がる(離れる)」という話が耳に入ってきた。それが三垣だ。彼は大学4年に、ドラフト候補として某球団に指名されるところまで来ていた。

ドラフトなのだから絶対はなく、たまたま上位に同じポジションの良い選手が決まったりすると、獲る人数がその場で動くものであり、ビジネスなのだからこちらの思い通りにいかないのは仕方のないことだ。さらにこの年は、たまたま大手企業のローソンが休部し、そこに在籍していた選手が多くドラフト指名されたことも不運に繋がってしまい、三垣は指名漏れ。

その後、社会人野球の三菱ふそう川崎に入社することになるが、そこで実力を発揮し、2度の日本一を経験する事になる。都市対抗野球の試合を東京ドームに観に行った時、ドームを埋め尽くす観客の「三垣」コールを聞き、私は感激に涙した。三垣は野球だけでなく、企業の一社員としてこれだけの人たちに支えられているのだと肌で感じ涙したのだ。

三垣はその後チームの廃部で三菱自動車岡崎に移籍。選手とコーチを経験したが「社内の人事で、野球部を離れて社業に専念することになった」と噂を耳にした。「三垣がいつかここに戻ってきてくれたら」と願っていた私は、その年後、三垣自身が野球の現場に戻りたい希望があるとの話も聞いた。ついに機が熟した。私はすぐに本人に連絡し気持ちを伝えた。

新たな血の投入が必要な事、母校で育った本物のコーチが欲しい事などを伝えた。彼が引き受けるにはやはり家族、生活がネックになりはしたが、何度も名古屋に通って説得した。 まずは彼の子供を手なずけた。「おじちゃんと北海道に行こう」と何度も言った(笑)。

ただ妻の陽子さんが二の足を踏んでいた。彼女は秋田の雪が嫌で東京に出てきて三垣と出会った。三垣の移籍で名古屋に行ったかと思ったら、今度は北海道・網走と聞けば無理もない。また、三菱という大企業にいれば生涯賃金はそれなりにもらえる。それでも彼自身は野球ができないことに悩んでいた。そこで「人生回しかないんだからやらせてやってくれ。面倒は一生俺が見るからと」と伝えた。三垣もまた「樋越さんは、俺の親父のような存在だから信用しよう」と言ってくれた。

コーチを数年務めた後に、私の世田谷キャンパス異動に伴い後継者に指名。監督を引き継いだばかりの2018年は苦労も多く良い成績を挙げられ無かったが、2019年には大学選手権で4強という過去最高の成績を残してくれた。また、今では「樋越さんのおかげで人生変わりました」と夫婦で言ってくれている。

出典:『東農大オホーツク流プロ野球選手の育て方』著/樋越勉

『東農大オホーツク流 プロ野球選手の育て方』
著者:樋越勉

多くのプロ野球選手を輩出する北の最果て、北海道網走市にある東京農業大学オホーツクキャンパス野球部。恵まれた施設環境ではないにも関わらず、なぜ有力選手が育つのか⁉東農大学野球部のカリスマ、樋越監督の選手を見抜く眼力と、その育成術を紹介‼プロ野球選手の育て方、ドラフトへ送り込む手腕、練習環境の整え方などを、具体的に解説するプロ野球ファンや指導者必見の一冊。愛弟子の周東佑京のコメントも収録。

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