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29.大唐国に相対し日本国と称す。天子に対抗し天皇と称す【世界史】

Text:鈴木 旭

白村江の戦いで唐に敗れたことで日本流律令国家を建設す。

天武天皇は大唐国と対決の姿勢を示し、国名を「倭国」「邪馬台国」から「日本国」に変更し、中国皇帝に対し、天皇と称するようになった最初の天皇であることを明確にしておきたい。

一般に知られている天武天皇の業績とは次のようなことではないだろうか。

天武天皇の朝廷には、太政大臣は無論、左右大臣もいなかった。皇后と皇子で最高首脳部を構成した。土地と農民に対する直接支配を強化するためだ、と。そして、伊勢神宮を東国経営の拠点としつつ、天皇家の祖先神を祭る社とした。伊勢神宮の特別扱いは、このときに始まった、と。

さらに、国家行政の根本である国史編纂(へんさん)事業に着手し、高まる国家意識の高揚を『古事記』『日本書紀』の編纂事業に注ぎ込んだ、と。そして、『飛鳥浄御原令』制定によって、いよいよ律令国家の神髄が示された、と。

従来の天武天皇論は、これだけの記述で終わっていた。しかし、なぜ、そうしたのか。肝心のことが語られて来なかった。

中国の史書『新・旧唐書』によれば、咸亨元年=天智九年(670)、我が国の遣唐使が唐を訪れた際、使者が「倭国」とか、「邪馬台国」と呼ばれていた国名を忌み嫌い、「日本」に変更したと唐の朝廷で広言したと記録されている。

天智二年(663)の白村江(はくすきのえ)の戦いで、唐=新羅連合軍に敗れ、九州で水城や大野城などの防衛を固め、天智六年(667)には近江遷都をしたばかり。後を引き継いだ天武天皇が、その基本路線を堅持していることは言うまでもない。ギリギリの緊張関係の中で対抗したのである。

襟(えり)を正して讃えておきたい。

 

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 世界史』
著:鈴木 旭 日本文芸社刊

執筆者プロフィール
昭和22年6月、山形県天童市に生を受ける。法政大学第一文学部中退。地理学、史学専攻。高校が電子工業高校だったためか、理工系的発想で史学を論じる。手始めに佐治芳彦氏と共に「超古代文化論」で縄文文化論を再構成し、独自のピラミッド研究から環太平洋学会に所属して黒又山(秋田県)の総合調査を実施する。以後、環太平洋諸国諸地域を踏査。G・ハンコック氏と共に与那国島(沖縄県)の海底遺跡調査。新発見で話題となる。本業の歴史ノンフイクション作家として、「歴史群像」(学研)創刊に携わって以来、「歴史読本」(新人物往来社)、「歴史街道」(PHP)、「歴史法廷」(世界文化社)、「歴史eye」(日本文芸社)で精力的に執筆、活躍し、『うつけ信長』で「第1回歴史群像大賞」を受賞。「面白いほどよくわかる」シリーズ『日本史』『世界史』『戦国史』『古代日本史』はロングセラーとなる(すべて日本文芸社)。他に『明治維新とは何だったのか?』(日本時事評論社)、『本間光丘』(ダイヤモンド社)など著書多数。歴史コメンテーターとして各種テレビ番組にも出演。幅広い知識と広い視野に立った史論が度々話題となる。NPO法人八潮ハーモニー理事長として地域文化活動でも活躍中。行動する歴史作家である。

いま地球規模の「人類史」という観点からも注目され、一方で一般教養、知識としても人気が高い「世界史」。世界規模の歴史を学ぶ上で大切なのは、歴史を流れとして捉えること、歴史にも原因と結果があり「なぜ」そこに至ることになったのか大もとの理由を理解すること、そして見ただけで忘れないようにビジュアルで視覚的覚えること。本書ではさらにアジアや日本の歴史とその役割にも重点を置き、最新の発見や新しい史論を取り入れた、世界史の学び直しにも、入門にも最適な知的好奇心を満足させる1冊。