アスリートは現役中に将来や引退後のキャリアについて備えるべきか。ひと昔前なら「アスリートは競技に集中しろ」と周囲から言われていたであろうし、そうあるべきだと思うアスリートが大半だったろう。しかし、こういった考え方も近年変化している。将来のキャリアを意識する現役バリバリのアスリートは増えている。
東京オリンピック男子100メートルバタフライ代表の水沼尚輝選手(24歳)もその1人だ。日本の競泳史上初となる100メートルバタフライでのメダルを目指すべく日々練習しているが、一方でアスリート向けのキャリア教育講座にも参加していた。東京オリンピックが間近に迫る中、水沼さんにオリンピックに対する意気込みと同時に、キャリアというものに対してどう考えているのか、話を伺った。(取材・文=大塚淳史)
競泳では珍しい、地方拠点から五輪代表
4月9日に東京アクアティクスセンターで開催された「第97回日本選手権水泳競技大会」の男子100メートルバタフライ決勝で、水沼さんは51秒03で優勝。念願のオリンピックへの切符を手に入れた。喜びと共に仲間たちへの思いがあったという。
「嬉しかった反面、一緒にオリンピックを目指して練習してきたチームメイトたち、先輩や後輩たちと一緒にいけない悔しさもありました。苦楽を共にしてきた仲間だし、僕はずっと地方で強化してきた選手なので、愛着というか信頼関係が強かった」
水沼さんは競泳日本代表の選手には珍しく、地方を練習拠点にしている。新潟県にある新潟医療福祉大学の水泳部で練習を重ねながら、大学職員として勤務する。基本的には競泳競技において、オリンピックで活躍が期待される有力選手は、東京のナショナルスポーツセンターを拠点にして練習を重ねる選手が多い。所属先も東京、大阪、愛知など都市部が中心だ。それだけに水沼さんのように地方を拠点にした選手が、オリンピック代表まで上り詰めるのはなかなか珍しい。
栃木県真岡市出身で作新学院高校を出た後、新潟医療福祉大学に進んだ。リオオリンピック男子400メートル個人メドレーで金メダルの萩野公介選手は、水沼さんの2学年先輩にあたる。高校時代は最高成績がインターハイ(全国高校総体)での予選9位が最高。無名とも言える存在だった。近年注目されている地方の強豪、新潟医療福祉大学に進んだものの、将来、消防士に就くための準備をしていたからだ。
「小さい時から培ってきた泳ぎで、人の役立つ仕事をしたいなと。中学生の時から映画『海猿』(※)が大好きで、海上保安官になるのが夢でした。ボンベとマスクを付けて海中に入り、人を助ける仕事をしたかった。でも断念して次に何ができるか考えて、消防士には人命救助が第一で潜水の班があることを知り、人命救助の最前線にいきたいと消防士を目指すようになりました。大学1年から公務員試験の専門書を買って、4年間あれば1日30分続ければ合格できると思い、自分で勉強をしていました」
(※同名の人気漫画作品が原作の映画。伊藤英明が主演で、シリーズ4作品いずれも大ヒット)
計画的な考えの持ち主だとうならされるが、自身のことを「考えたらすぐ行動するタイプ。一つのことをとことんやるタイプだった」と評する。この性格が大学での開花につながっていったのかもしれない。
キャリアの転換点はリオオリンピック選考会
新潟医療福祉大学は地方にあるとはいえ、現在は恵まれた練習施設に、名将・下山好充監督など優れた指導陣がいる。そこで水沼さんは力を付け頭角を現していき、オリンピックが現実なものになってきた。
「転換となったのはリオオリンピック選考会となった日本選手権。大学生で初めて参加基準を超えて出られた初めての日本選手権で、準決勝まで駒を進められた。自分の可能性は無限大。もしかしたら自分は水泳選手でもいけるのかもと思い始めました。そこからどうやったら速くなるのか、どうやったらオリンピックに出られるのだろうと考えるようになり、同時に消防士の夢から離れていきました」
さらに大学3年からは日本代表の強化選手入りも果たし、国際大会でも活躍。競技力が上がり、大きな自信も得たことで、キャリア観が変わっていった。
水沼さんの父はクリーニング店を経営し、母は会社員として働いている。祖父母もクリーニング店で働いているという。長男ということもあり自然と家業を継ぐこと少しでも意識しそうだが、「全く考えていなかった」という。
「小さい頃から『お前の好きなようにして』と言われてきたので、クリーニング店(の跡継ぎ)を背負わずに好きなことをやっていました」
このような両親の下のびのびと育てられて、常に自分で考えて進む道を選んできた。しかし、大学卒業後も競技を続けるには、学生時代とは異なり、練習環境や費用が必須だ。2018年、大学を卒業した水沼さんは、大学職員として留まることを選んだ。東京に拠点を移してオリンピックに備えるという道もあったはずだが、新潟に残ることには全く迷いはなかったという。
「自分で企業を見つけたり、アスリート向けの就職支援サービスを使ってスポンサーを探すなど色んな選手を見てきました。参考になったのは、大学水泳部の先輩である松井浩亮さん。松井さんが大学職員として競技を続けていたことで、競技を続けるにはここで職員になる道もあるとイメージできました」
結果を残せてないと競技を続けるのは難しいが、水沼さんは大学4年のインカレで優勝した実績もあった。面接を受けて通過し、晴れて就職できた。
競泳でオリンピックを目指す有望選手たちは、大学卒業後に有名企業(大半が都市部)に所属することが多い。一方で、途中で企業からの支援が打ち切られて所属先を失ったり、個人でスポンサーを集めて練習や遠征の活動費用を賄う選手も少なくない。
この厳しい現実は、オリンピック有望選手たちですら直面する。水沼さんはオリンピック代表有力選手の1人だったとはいえ、卒業後に所属先がすんなり決まったのは精神的にも大きかっただろう。競技力をさらに上げることができ、日本代表としても活躍。2020年には北島康介さんがGMとして率いる、国際水泳リーグ(ISL)のチーム「東京フロッグキングス」のメンバーにも名を連ね、レベルアップしてきた。
競技以外にも積極的に読書やセミナー受講
2020年は新型コロナウイルスの影響で、東京オリンピックは1年延期になり、一時は練習がままならなかったが、ポジティブに捉えていた。
「ネガティブに考えるのが嫌いなので(笑)。良い意味で水泳を離れられる時間が得られました。2、3カ月泳げなかった期間に、自分から水泳を取ったらこんな風になるんだと見つめ直しました。そうすると、なおさらもっと将来のことを考えないといけない、社会人スイマーとしてやるならもっと結果を残さないといけないと思えました。泳ぐ練習はできなかったですが、砂浜や公園でランニングするなど陸上トレーニングは自分で考えて行いました。有意義で、やっていて楽しかったですね」
水泳の練習再開直後はさすがに思い通りに泳げなかったが、「それはどの選手も同じ。うまく泳げないから不安になったり、五輪に行けないのではという焦りにはならなかった。そういう時だからこそ、自分の泳ぎを見つめ直せた」と振り返る。
前向きな姿勢は、競技以外の面にも現れている。大学3年生の頃から趣味として自己啓発本を読むようになった。プロボクサーの村田諒太さん(ロンドンオリンピック金メダリスト)が読書家と聞いて、「村田さんがどんな本を読んでるのだろうと興味を持ちました」。
村田さんがメディアでオススメしていた『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著)を読んで、日常生活やスポーツ現場にも応用できるとわかると、もっと本を読むようになった。特に『多動力』(堀江貴文著)は印象に残ったそうだ。
水沼さんは他にも、オリンピック代表選考会とも時期が重なりながら、アスリート向けのキャリア教育講座『アスリート キャリアオーナーシップ アカデミー』を受講した。
「将来に対する不安が少しと、自分がこのまま社会に出たらどうなるんだろうという興味で、『人生観が変わるかも』と参加しました。大学生の頃は競泳の引退後に“腐っていく人”も結構見たんです。水泳であまり成績が出せないまま引退して、やりたくない仕事をやっている。自分はそういう風になりたくなかった。
せっかく小さい頃から水泳をやってきて、その中で積み重ねてきたことを、どうやったら還元できるんだろうと考えていたんですが、なかなか独学ではわからない。そんな時にアカデミーに参加して、さまざまな人と出会って話を聞くことができた。そもそも競泳以外の人と話したこともないし、出会ったこともありませんでしたから」
Zoom経由ではあったがアカデミーを通して、他競技の選手たちと知り合うことで視座が広がっていた。特に競輪選手であり、東京オリンピック自転車競技トラック種目代表の橋本英也選手とは連絡を取り合う。「会えるなら選手村で橋本さんと話したいですね(笑)」
アスリートは競技に集中すべき?
トップアスリートとしてオリンピックなど国際大会でのメダル獲得を目指し、競技力を向上させながら、同時に引退後のキャリアのことも見据えている。水沼さんは7月に始まる東京大会だけでなく、その先の2024年パリ大会も目標に入っているが、選手引退後の仕事に対する準備は既に始めている。海上保安官、消防士とみてきた将来の職業もまた変わってきている。
「僕がここまで成長できたのは、水泳というスポーツがあってこそ。水泳の素晴らしさ、水泳のできるコミュニティを還元できたらいいなと考えています。ただ、まだ明確なビジョンはないので、何年かかけてできれば。だから、セミナーだったり色んな人に会って、話すことでこれから作っていけたらと思います」
そのヒントは、合宿で行ったオーストラリアの“水泳文化”だったという。
「合宿で行ったオーストラリアでは、老若男女問わずさまざまな世代がプールで泳いでいて、プールで新たなコミュニティができていました。日本は基本的に競技性が強いので、こういったことあまりない。レースはもちろん楽しいですけど、ただ水の中で浮かんで太陽の光が入ってくるのを感じるとか、水泳を自然な形で楽しむのもいいですよね。僕はこういった、地域の身近な部分で普及活動ができたら」
アスリートは現役の間は競技に集中すべきとの声もまだまだ多いが、将来への取り組みも現役の間に始めた方がいいのだろうか。
「僕はそう思います。『水泳だけ頑張ればいい』とか『水泳しかできない、合宿があって時間がない』っていう人も中にはいます。でも、合宿のスケジュールを整理してみると、時間ってたくさんあるんですよ。午前も午後も練習だとしても、就寝前とか読書する時間はたくさんあるし、時間の見つけ方次第なんです。だからこそ、そこで差をつけたい。
時間を活用して、自分自身の未来に対する投資をする。セミナーであったり、本を読むことで、ビジョンを明確にする。もちろん水泳も大事で、水泳のことを考える時間も大切。ただ、SNSや動画を見る時間を減らせば、新聞を読むとか、本を読むとか、ビジネスマンになった時にも役立つ習慣をつけられる。こういった意識を持ちながら、競技を続けています」
書き手:大塚 淳史
報知新聞社『スポーツ報知』にて運動部で高校野球、Jリーグ、大学スポーツ、文化社会部で芸能、事件などを担当した後、中国・上海で5年間在住。現地の日本語フリーペーパー、中国メディアのオンライン日本語版や電子雑誌、日本の繊維業界紙上海支局で勤務の後、帰国。日刊工業新聞を経て、2016年からフリーランスライターとして活動。週刊朝日、AERA dot.、Bussiness Insiderなどでも執筆している。
初出=「HALF TIMEマガジン」2020年9月14日公開記事
スポーツビジネス専門メディア「HALF TIMEマガジン」では、スポーツのビジネス・社会活動に関する独自のインタビュー、国内外の最新ニュース、識者のコラムをお届けしています
公開日:2021.07.20