一歳忖度ナシが北の富士流
さる11月12日、82歳で亡くなった元横綱・北の富士は、粋で洒脱な人柄で知られ、ユーモアあふれるNHKの大相撲解説でも人気を博した。
アナウンサーの質問に一切忖度しないのが北の富士流。時に土俵上の相撲より面白いこともあった。
表現も独特だった。
今でもよく話題に上るのが2020年11月場所、当時、小結だった照ノ富士が平幕の翔猿をつり出しで破った一番。
「塩ザケの釣り身みたいだね。塩ザケだって、もっと恰好よく釣られるよ」
北海道で生まれ育った北の富士は、少年の頃、軒先に吊るされたサケをよく目にしていたのだろう。
これは今は亡き元小結の龍虎から聞いた話。
ある暑い日、ゴルフ場で北の富士が「今日は暑いな」と言ってウェアを脱ぎ始めた。
慌てたキャディーが「横綱、マナー違反です」と血相を変えた。
「何を言ってるんだ。裸は力士の“正装”だ!」
「じゃあ、ちゃんとまわしもつけて下さい!」
キャディーの方が一枚上手だったようだ。
名勝負も数多く残している。わけても1972年1月場所の関脇・貴ノ花との一番は、今も語り草だ。
横綱・北の富士には3場所連続優勝がかかっていた。
立ち合い、左四つに組み止めた横綱は、右上手を取り一気に寄る。左外掛けを飛ばしたが、貴ノ花はこれを返し、逆に上手投げを打つ。
長い勝負になると不利と判断した横綱は、土俵中央で、今度は右の外掛けを飛ばし、まるで跳び箱でも跳ぶように、細身の関脇の上に覆いかぶさった。
次の瞬間、少年の私の目はテレビ画面に釘付けになった。弓なりになって耐えながら、貴ノ花は横綱をうっちゃり気味に投げ飛ばしたのだ。関脇の背中よりも先に、横綱の手が土俵についた。
立行司は、これを「つき手」と見なし、貴ノ花に軍配を上げたが物言いがつき、協議の結果、北の富士の右手は「かばい手」と判断され、行司差し違えとなった。
私は今でも、この一番が大相撲史上最高の名勝負だと考えている。
取材でもお世話になった。引退後は相撲界の要職を歴任しただけに「やり残したことは?」と問うと、「国技館に大型スクリーンを設置できなかったこと」と答えた。
「2階席からじゃ視力の衰えたお年寄りは、決定的な瞬間を見逃してしまう。お客さんあっての相撲だから……」
角界は惜しい人を亡くした。北の富士節がもう聞かれないと思うと、無性に寂しい。合掌
初出=週刊漫画ゴラク2024年12月6日発売号