長嶋の天覧試合。吉田義男の証言【二宮清純 スポーツの嵐】

「あれ、随分飛びましたわ」
「あれはファウルだ」
阪神の大エースとして一時代を築いた村山実は、終生、その一撃をホームランとは認めなかった。
1959年6月25日、東京・後楽園球場。プロ野球史上初の天覧試合は、巨人と大阪タイガースとの間で行なわれた。
4対4で迎えた9回裏、先頭の長嶋茂雄は2‐2のカウントから村山が投じた内角高めのストレートを見逃さなかった。フルスイングによって弾かれた打球はポール際、レフトスタンド上段に飛び込んだ。
それは天皇皇后両陛下がロイヤルボックスを後にする3分前に飛び出した劇的なサヨナラホームランだった。
打球はレフトポールを巻いたのか、それとも切れたのか。さる2月3日、91歳で世を去った吉田義男に聞いたことがある。吉田はこの試合でショートを守っていた。
「打たれた瞬間、これはホームランだと諦めました。あれ、随分飛びましたわ。場外に出るような豪快な一発だったと記憶しています」
――だが村山は、ずっとファウルだと言い続けた。
「あれ、何でですかね。試合後も、そんな話題にはならなかった。だから、どうして、そんな話(ファウル論争)に発展したのか、僕はちょっと不思議なんです」
そして、次のようなこぼれ話を披露した。
「天覧試合についての取材はよく受けるのですが、ほとんどが“あれはファウルだったと肯定しろ”というものばかりなんですよね。困ったことに(笑)。でも、あれはホームランですよ」
長嶋の打球を誰よりも近くで見ていた野手は、レフトを守っていた西山和良である。
もし、打球がポールの左に切れていたのなら、真っ先にレフト外審の富澤宏哉に抗議していたはずだ。
しかし、そうした素振りは全く見せなかった。中には、「天皇皇后両陛下がご観戦される中、さすがに抗議のような野暮なことはできなかっただろう」という声もあり、西山の発言に注目が集まった。
西山のコメントを紹介したのは、1996年7月27日付けの読売新聞大阪夕刊である。
<村山(実)はマウンドから見てファウルと思ったらしい。でも、あれは長嶋君が打った444本の本塁打の中でもベスト10に入る素晴らしい当たり>
長嶋のサヨナラ弾は、午後9時12分。両陛下の観戦終了予定時刻は午後9時15分。もし試合が長引いていれば、両陛下不在の延長戦に突入していた可能性が極めて高いのだ。これも歴史の綾である。
初出=週刊漫画ゴラク2025年2月21日発売号
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