なぜ教えは誤解されたのか? 歎異抄中序から読み解く唯円の嘆きとは【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】


歎異抄は親鸞の教えを正しく学ぶための書
歎異抄の第一条から第十条までは、親鸞聖人の言葉を弟子の唯円がまとめたものです。「中序」は、続く第十一条から第十八条までの序文にあたります。
親鸞聖人がまだ存命のころ、同じ志を持って浄土に往生することを願い、はるばる親鸞聖人がいる京都まで足を運び、親鸞聖人のご意見をうかがっている人たちがいました。しかし老いも若きも数えきれない人たちが尋ねてくる中で、親鸞聖人の教えとは異なる教え、すなわち異端邪説が出てしまうことになったと言います。どの部分が異端邪説なのか、一つひとつ記していきたいと「中序」には書かれています。
「中序」にはこのように、親鸞聖人の教えが誤って伝えられている現状を嘆き、正しい教えを伝えようとする唯円の思いが込められています。
第十一条から第十八条は、唯円が親鸞聖人の教えが間違って広まってしまったことに対して、虚しいと感じた部分とも言えます。
親鸞聖人の教えは、歎異抄第三条の「悪人こそが救われる」というような逆説的な表現が数多くあります。
これが親鸞の教えを間違って解釈してしまう理由のひとつかもしれません。
ですから唯円は、異端邪説がこのまま広まってしまうことについて危惧したのです。親鸞から直接教えを請うた唯円だからこそ、自力本願の考え方が歪められ、間違った教えは許せなかったのだと想像できます。
つまり第十一条から第十八条は唯円が感じた「間違った念仏の解釈と親鸞のえの異説に対する嘆き」が書かれているのです。
自力本願の考え方が歪められ、間違った教えの存在が許せなかった弟子の唯円の嘆き!
歎異抄

中序には親鸞聖人の教えが誤って伝えられている現状に一石を投じた唯円の思いが書かれています。

[ 親鸞の教えを間違って解釈してしまう要因 ]

ワンポイント!
念仏を唱えることによって行く極楽浄土のことを「当来の報土(とうらいのほうど)」と言います。自分にとって相応しいとして存在するのが「報土」です。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』監修:山口謠司
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』
監修:山口謠司
「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」――親鸞の死後に弟子の唯円が師の言葉をまとめた「歎異抄」。
仏教書の中でも、現代に必要とされる「安心」と「他力本願」の奥義がわりやすく、生きる力や癒やしにつながると根強い人気があります。700年以上前に親鸞が説いた、この今を生き抜くための名言には、「生きることはどういうことなのか」「信じた道をつき進めるか」「悪人こそが救われる」などという内容の言葉が書き起こされていますが、それは逆説的な意味合いを込めた、「明日を生きる力がわいてくる珠玉の名言」なのです。
日常生活に大いに役立つ歎異抄の世界。語り継がれる親鸞聖人の言葉は、現代社会に大きな影響を与えているといってもいいでしょう。
本書は歎異抄の世界をひもとき、親鸞聖人の考え方をどのように応用すれば、厳しい現代社会を生き抜くことができるかを、図やイラストをふんだんに使い、わかりやすく解説した一冊です。
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