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筒井順慶は、本当に洞ヶ峠で日和見を決め込んだ?【戦国武将の話】

Text:小和田哲男

家臣団の考えがまとまらず、居城から動くに動けなかった

斎藤道三や武田信玄のように、戦国大名が出家した例は珍しくはない。大和(やまと)の筒井 順慶(つついじゅんけい)はそれとは若干事情が異なり、僧侶にして僧兵でありながら、なおかつ武士団の棟梁を兼ねていた。

順慶の祖先は興福寺の衆徒(しゅと)であったが、南北朝の動乱期に僧籍に身を置いたまま武士化して、順慶の父の順昭(じゅんしょう)の代には大和一国の平定にほぼ成功した。

けれども、順慶への代替わりに乗じて他の国衆や衆徒集団の大半が反旗を翻(ひるがえ)し、順慶はしばらく雌伏(しふく)の時を余儀なくされた。

やがて、熱心な支持者の後援を糧に大和一国の奪還を目指すが、そこに立ちはだかった最大の障壁は信貴山(しぎさん)城を根拠地とする松永久秀だった。順慶は織田信長に臣従することで状況を打開しようとしたが、大和にこだわる限り、どちらかが滅びないことには対立の根本的な解消は不可能だった。

久秀の滅亡により一件落着かと思われたが、本能寺の変の前夜、思わぬ事が起きた。『多聞院日記』によれば、西国への出陣を直前に控えた状況下、滝川一益(かずます)の与力へと配置換えを内示されたようなのである。これと光秀の謀反が関係するかどうかは不明ながら、順慶は二夜三日御堂に籠こもるという不可解な行動に出ている。

本能寺の変に続く山崎(やまざき)の戦いでは、順慶は洞ヶ峠(ほらがとうげ)から動かず、戦の成り行きを傍観したといわれてきたが、実際の順慶は家臣たちの意思統一に手間取り、郡山(こおりやま)城から動けずにいた。出陣を促すため洞ヶ峠まで出てきたのは光秀のほうだった。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 戦国武将の話』
著者:小和田哲男  日本文芸社刊

執筆者プロフィール
1944年、静岡市生まれ。静岡大学名誉教授。文学博士。公益財団法人日本城郭協会理事長。専門は日本中世史、特に戦国時代史で、戦国時代史研究の第一人者として知られている。NHK総合テレビ「歴史秘話ヒストリア」およびNHK Eテレ「知恵泉」などにも出演、さまざまなNHK大河ドラマの時代考証を担当している。


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