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一段と深い智慧で語られるヴィジョン【般若心経】

Text:宮坂宥洪

無受想行識(むじゅそうぎょうしき)

ここからは「無」のオンパレードになります。

前に空の説明をしたとき、「空と無とは違う」といいました。それなのに、このパートで「無」のオンパレードになるのはなぜなのか。それを理解するカギは、このパートの最初にある「空中(空のなかには)」です。

〈私〉を突き詰めると〈私〉はなくなる

前項で、「空のなかには」の意味は、「観自在菩薩がいる4階でのヴィジョンでは」ととらえることができるといいました。「無い」とは、もともとは「有る(有った)」ことが前提になっています。もともとないものは、名称さえあげられませんから。「2階には日常の姿で有った」「3階には姿がかわったが有った」「4階の視点では空性になり、枠組みまで無くなった」という一連の流れを示すため、最初は「空」といい、ここからはないものを綿密にあげているのです。

智慧の箱を開けたら1段深い智慧があり、その箱を開けたらさらに深い智慧が…と、入れ子構造のような説明がされているのです。その深みや高みの変化を味わえるのも、般若心経の醍醐味です。

この部分では、五蘊の枠組みの消滅を、改めて述べています。五蘊は、〈私〉が〈私〉である根拠です。しかし、「私は体」ではありませんし、「私は感覚」「私はイメージ」「私は深層意識」「私は判断」のどれも違っています。〈私〉を突き詰めると、〈私〉はなくなる。

それが般若心経の底流にあるヴィジョンです。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 般若心経』
著:宮坂宥洪 日本文芸社刊

執筆者プロフィール
真言宗の僧、仏教学者。1950年、長野県岡谷市生まれ。高野山大学仏教学科卒。名古屋大学大学院在学中、文部省国際交流制度でインド・プネー大学に留学し、哲学博士の学位取得。岡谷市の真言宗智山派照光寺住職。

今、人気の空海(真言宗)をはじめ、最澄の天台宗、臨済宗、曹洞宗で読まれている「般若心経」。写経を中心に長く人気を博している般若心経だが、まだまだ「難しい」「よくわからない」といったイメージを持たれることも多い。今回は、現代語訳をしっかりと解説しつつも、私たちの実生活と結びつけながら、その思想や意図するところをわかりやすく解き明かしていく。

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