呂布が大活躍
華雄を討ち取られたことを知った董卓は、二十万の軍勢を二手に分けて進軍した。李傕、郭汜に一手を任せ、五万の軍勢で汜水関を固めさせた。董卓自身は十五万の軍兵を率い、李儒、呂布、樊稠、張済と虎牢関に向かった。虎牢関は洛陽から五十里の道程である。
虎牢関に入ると、董卓は呂布に三万の軍勢を預け、関の前に戦陣を構築させた。ついに呂布が姿を現した。髪を三つに束ねて兜を載せ、紅錦の百花袍を身にまとい、獣面呑頭鎧の上に玲瓏獅蛮の腰帯を締め、弓矢を箙に差し込み、手には方天画戟を持って、嘶く赤兎馬に跨る。伝えて曰く、「人中に呂布あり、馬中に赤兎あり」。まさに一幅の絵姿そのもので、連合軍が繰り出す諸将をなぎ倒し、まるで無人の野を駆けるが如し。
呂布を食い止めた者は、一丈八尺の蛇矛を手に手綱を操る張飛。二人は五十合も打ち合うが勝負がつかない。これを見た関羽が八十二斤の青龍偃月刀を馬上に舞わせて、呂布を挟み撃ちにする。呂布は右に左に、張飛と関羽の蛇矛と偃月刀を打ち払う。劉備も二本の剣を右手左手に馬を走らせ切り込んでいく。さすがの呂布も敵わぬとみて赤兎馬の馬首を返し、虎牢関に逃げ込んだ。劉備らは呂布を追ったものの、関から矢や石が打ち込まれ、投げ込まれたためやむなく引くのである。
だが、呂布が敗れたことで、董卓陣営は意気が上がらない。このままでは大敗するやも知れぬ。そこで李儒は、洛陽を捨てて前漢の都であった長安へ遷都すべきと進言する。董卓は李儒の言に愁眉を開き、翌日には軍勢を率いて洛陽に撤退した。
ところが、長安へ移るに際して、洛陽の分限者を捕縛して斬殺、財産を奪い取るという暴挙に出る。さらに、洛陽の諸門に火をかけ、市井の家を焼き払い、漢皇室の宗廟や南北の両宮殿にも火を放った。代々の皇帝や皇后の御陵をあばき、埋葬の宝物の略奪さえ命じた。兵士たちも官吏や庶民の墓を暴いて目につく値打ち物を根こそぎ強奪した。洛陽はさながら廃墟と化す有様だった。
董卓は、手にした財物を数千台もの車に載せ、わずか十歳の献帝を脅しつけながら洛陽を後にし、長安を目指したのである。
連合軍は、虎牢関がもぬけの殻と知ると兵を洛陽に進めたが、洛陽は火炎で空を焦がし、黒煙が異臭を放っている。これを見た諸侯は、兵を駐屯させて動く気配がない。此は如何なることか。
袁紹に面して曹操は、「逆賊は西に向かったようだ。なぜ追撃されぬのか」と詰問するも、「兵は疲れ切っている。
追撃しても無駄であろう」と応じるのみ。諸侯も「軽率に動くべきではあるまい」と口を揃えるばかり。曹操は歯噛みしながら、「孺子共に謀るに足らず」と扼腕したのであった。
『図解 三国志』はこんな人におすすめ!
・中国の古い歴史に興味がある!
・昔の人は何のために争っていたのか?
・三国時代や格言について学びなおしたい
と感じている方には大変おすすめな本です。
魏・蜀・呉、三国の興亡を描いた『三国志』には、「桃園の誓い」「三顧の礼」「出師の表」「泣いて馬謖を斬る」など心打つ名場面、また「水魚の交わり」「苦肉の策」「背水の陣」「髀肉の嘆」など名言や現代にも通じる格言も数多く登場する。また、曹操、劉備、孫権、孔明、関羽、張飛、趙雲、周瑜、司馬懿など個性豊かで魅力的な登場人物に加え、官渡の戦い、赤壁の戦い、五丈原の戦い等、歴史上重要な合戦も多い。英雄たちの激闘の系譜、名場面・名言が図解でコンパクトにすっきりわかる『三国志』の決定版!
シリーズ累計250万部を突破した「図解シリーズ」の読みやすさ
図解シリーズは、右側に文章、左側に図解で解説という形で構成されているので、本が苦手な人にも理解しやすい内容です。
図解シリーズには、健康・実用だけではなく大人の学びなおしにピッタリな教養のテーマも満載。さくっと読めてしまうのに、しっかりとした専門家の知識を身につけることができるのが最大の魅力です!
気になる中身を少しだけご紹介!中国では、「革命」によって新たな王朝に禅譲されるのが約束事
『三国志』は「紀伝体」で書かれました。帝の記録「本紀(略して紀)、それ以外の人物の記録「列伝(略して伝)」で構成される歴史書です。陳寿は『三国志』を書くに際してあれこれ惨憺したらしい。魏の曹操(155~220)没後、息子の曹丕(187~226)が皇帝を名乗り、であればと蜀の劉備(161~223)、次いで呉の孫権(182~252)も皇帝を名乗った。
でも、三国に帝(皇帝)がいるというのは古来の中国ではあってはならないこと。天が命じた天子に地上を治めさせるので、天子は一人でなければならなかった。しかし、その天子が徳を失えば、徳のある天子に禅譲することになります。だから陳寿は、後漢の献帝(181~234)から禅譲(実際は簒奪)されたとする魏を正統とすることによって、魏から禅譲(これも簒奪)されたとする西晋を正統とせざるを得ない。
ほんとうは後漢の正統を継いでいるのは、漢王室の末裔とされる劉備が興した蜀と思っていても、陳寿はそうは書けない。故国蜀の滅亡で晋に職を求め、史官として三国の歴史を書くために仕えている身としては、晋朝廷から覚えめでたくあらねばならない、きっとそう悩んだ。
結局、陳寿は「魏書」に「本紀」を置かざるを得ず、「武帝紀(曹操)」「文帝紀(曹丕)」から最後の皇帝「元帝紀(曹奐)」まで著しました。じゃあ、劉備や孫権をどう扱ったか?「蜀書」に「先主伝」を立て、劉備を“先主”と呼ぶ一方、「呉書」の「呉主伝」では孫権は一貫して“権”。「列伝」では当該人物名を生前名の諱で呼ぶのが原則なのに、劉備に関してはその慣例を無視。まさに陳寿は蜀びいきなんですね。
★三国志演義の物語
★赤壁の戦いの真実とは?
★三国志の始まりとは
★知っておきたい軍事制度とは
などなど気になるタイトルが目白押し!
『三国志』には、心打つ名言や現代にも通じる格言が多くあります。曹操、劉備、孫権、孔明、関羽、張飛、趙雲、など魅力的な登場人物に加え、官渡の戦い、赤壁の戦い、五丈原の戦い等、名場面を図解でわかりやすく解説しているので「三国志」の学び直しに是非読んでいただければ幸いです。
【書誌情報】
『図解 眠れなくなるほど面白い 三国志』
渡邉義浩 監/澄田夢久 著
魏・蜀・呉、三国の興亡を描いた『三国志』には、「桃園の誓い」「三顧の礼」「出師の表」「泣いて馬謖を斬る」など心打つ名場面や「水魚の交わり」「苦肉の策」「背水の陣」など名言や現代にも通じる格言も数多く登場する。曹操、劉備、孫権、孔明、関羽、張飛、趙雲、周瑜、司馬懿など個性豊かで魅力的な登場人物に加え、官渡の戦い、赤壁の戦い、五丈原の戦い等、歴史上重要な合戦も多い。英雄たちの激闘の系譜、名場面・名言が図解でコンパクトにすっきりわかる『三国志』の決定版!
公開日:2023.02.10