男子サッカー代表の劇的なドイツへの勝利に日本中が興奮の渦に巻き込まれました。
メンバー選考の段階から腹を括ったように感じていましたが、試合の立ち上がりからもそのような印象を受け、蓋を明けてみれば歴史的な勝利という幕切れ。
森保一監督のインタビューを見ながら、広島出身の私の脳裏には地元クラブが三冠を果たした時のシーンと重なりました。
最近ではサッカー絡みではない友人が増え、たまにサッカーの話もしますが、やはり「90分は長い」「頑張って最後まで見ても結局ゴールが入らなかったり、入っても1点だったりでがっかりする」という声をよく聞きます。
興行としてやっていくうえでの競技性的なマイナスポイントですが、4年に1度の祭典となれば、それすらも払拭されるようです。
普段はスポーツ色を一切感じさせないアカウントにスポーツ観戦の投稿が上がったり、街のふとしたところでボールのイラストをよく見かけるようになったりました。
チームメイトたちも普段はピッチ外でサッカーが話題にあがることはほとんどありませんが、ワールドカップとなれば話は別なようで、連日優勝国予想で盛り上がっています。
以前、何かのインタビューで久保建英選手が言っていましたが、日本は多くの娯楽で溢れていて、サッカーはその中でも存在感を示していく必要があります。
実際、ワールドカップが始まるまではサッカーは過渡期にある印象を受けており、以前の記事でアスリートは個性を表現することも大事だという話をしましたが、その話も盛り上がりを感じていた頃と比べて話題に上がった内容です。特にこの情報社会では、どんな形でも記憶に残るということがより意味を為すと思います。
そういったことが上手だなと感じているのが、TiktokerやYouTuberのようなインフルエンサーの方々で、ド派手な髪型や耳に残るフレーズなど、どのように記憶に残るかを意識してつくりこまれているように感じます。
そういった点でいえば、今回の長友佑都選手のいで立ちとインタビューはなかなかのインパクトでした。海外経験も長い選手ですので、意識してセルフプロデュースされているのではないでしょうか。
その中で女子選手がなにを表現し、女子サッカーそのものがどこを目指すのか。
やはり今回の盛り上がりから考えると、女子サッカーにはまだまだやれることはたくさんあると思いますし、「なに」と「どこ」の部分をとことん議論し、選手はもちろん関わる人たちがしっかりと話せる、行動できるということは必要不可欠でしょう。