「環境五輪」を訴えた石原氏
芥川賞作家で、環境庁長官、運輸相、東京都知事などを歴任した石原慎太郎さんが、さる2月1日、膵臓がんのため亡くなった。89歳だった。
石原さんと言えば、まず思い出すのが最初の都知事選の公約でもあった排ガス規制だ。記者会見で黒いすすが入ったペットボトルを振り回し、強い口調で訴えかけた。
「都内だけでディーゼル車が吐き出す粉じんは12万本。1日にこれ、12万本ですよ。(ペットボトルの中で)固まっているけど、この粉じんが飛んでいるんだ。これを総理大臣も生れたての赤ん坊もみんな吸っているんだ、東京で」
東京の空をきれいにする――。この主張は、わかりやすかった。ペットボトルを振り回すパフォーマンスも効果的だった。運輸業界は猛反発したが、ひるまない石原さんの姿勢に逆に支持が集まった。
その結果、都は2000年12月、国に先行してディーゼル車の都内での走行を禁じる独自の条例を制定した。
東京五輪・パラリンピックの招致活動を始めたのも石原さん。
招致に乗り出した理由を、石原さんは、こう語っている。
「この頃、日本はあまり夢がない。楽しいことがね。みんなで大きな夢を見て欲しい」
その背景には、64年東京五輪で得た感動があったようだ。
「東洋の魔女を育てた大松博文監督の優勝の瞬間や、(マラソンの)円谷幸吉選手がメインスタジアムで日章旗を上げる姿など、数々のドラマが今でも目に焼き付いていて、目を閉じると甦ってくる」
2016年大会を招致するにあたり、都が提案した「環境五輪」は、五輪の持続可能性という観点から見ても画期的なものだった。太陽光パネルなどを使った地球温暖化防止対策も、一部では高い評価を受けていた。
しかし、IOC評価委員の反応は「我々は国連ではない」と冷ややかだったと、後に石原さんは明かしている。結局、落選の憂き目を見た。
<「彼らにはそんな問題意識はあまりなかった。ぼくが環境の話をしたら、“ここは国連じゃないんだ”という人がずいぶんいたよ。そのぐらいの問題意識だね、今は。ぼくは彼らに“こんなことをやっていたらオリンピックが出来なくなるぞ”と言ったんだけど、そうしたら“オリンピックやIOCを脅かすか”って言う。“そうじゃない、訴えているんだ”と言ってやったけど(笑)」>(朝日新聞2009年11月12日付)
最近になってIOCは環境の重要性を訴えている。石原さんには先見の明があった。
(初出=週刊漫画ゴラク2022年2月17日発売号)