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「日本らしさ」追求。珠玉のオシム語録【二宮清純 スポーツの嵐】

Text:二宮清純

ズシリと胸に響く言葉ばかり

 オーストリアのグラーツから訃報が飛び込んできた。サッカーの元日本代表監督イビチャ・オシム氏が5月1日、亡くなった。80歳だった。

 オシム氏が日本代表の指揮を執ったのはわずか20試合だったが、日本の選手のみならず指導者、関係者に多大な影響を与えた。

 悲惨な内戦を経験しているオシム氏は、どこか物憂げで謎めいた指導者だった。

「ライオンに襲われたうさぎが逃げる時に、肉離れしますか? 準備が足りない」

「日本代表の日本化」

 これらの言葉に代表される数々の“オシム語録”は、どれもがズシリと胸に響くものばかりだった。

 練習方法もビブスの色で選手を細かく分けるなど、これまで見たこともないようなものが多かった。

 オシム氏に買われ初めて代表入りした中村憲剛から、こんな話を聞いた。

「いきなり7色ビブスの練習を始めたんです。“なんじゃこれは!?”と思いました。だけど、これが実によく考えられているんです。

 色によって味方だったり敵だったり、ボールを回す相手だったり、回しちゃいけない相手だったり……。また、それが時間ごとに変わっていく。あの練習には、目を鍛えるという意味もあったんです」

 体だけでなく目も頭もクタクタになるのが、オシム式のレッスンだった。

 しかし、と言葉を切り、中村は続けた。

「オシムさんには、単に聞くだけでなく、こちらからもアイデアを出しました。“こういう考え方もあるんじゃないですか?”と。ちょっと反抗的だったかもしれないけど、オシムさんは、それを喜んでくれた。建設的なディスカッションが好きでした」

 オシム氏がジェフの監督から代表監督に就任したのは、ドイツW杯後の2006年7月。ドイツから帰国した協会の川淵三郎キャプテン(当時)が成田空港のホテルで開いた記者会見の席で「代表監督のオシム……」と、つい口走ってしまったのだ。このうっかり発言に対しては「ジーコジャパンの失敗の責任逃れ」と川淵に批判が集中した。

 ジーコの前任のフィリップ・トルシエがスパルタ指導も辞さずの中学校の体育教師なら、ジーコは「言わなくてもわかるだろう」という構えの、いわば大学教授だった。

 トルシエとジーコの間を高校の物理教師然としたオシム氏が担当していれば、日本のサッカーは相当な果実を得ていたのではないか。返す返すも残念でならない。

※上部の写真はイメージです。
初出=週刊漫画ゴラク2022年5月20日発売号

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