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川上哲治に学ぶ、教え過ぎの弊害【二宮清純 スポーツの嵐】

Text:二宮清純

「私はあまり教えないほうをとる」

 V9を達成した元巨人監督・川上哲治には『悪の管理学』(光文社)というビジネス書がある。

 選手をどう育てるか、コーチをどう使うか、組織をどう強化するか――。自らの経験を下に実証的に論じた本だが、出版から40年後の今読んでも、勉強になることが多い。

 たとえばコーチについて。<教えないと人は育たないが、教えすぎても人は育たない。また、よい指導者がいれば、技術は習得しやすいが、それは平均レベルのものであり、ほんとうの技術、その人ならではのものは、自分自身でつかむしかないものである。教え方のうまいコーチに、手とり足とり教えられて育った選手は、概してひよわである。これは教わりすぎたのである。自分のものが育っていない>

 そして、こう続ける。

<あまり教えないのと、教えすぎるのとどちらがよいかといわれたなら、私は、あまり教えないほうをとる>

 さすが川上だ。教えすぎの弊害は、教えないことよりも大きいと説くのである。

 もちろんコーチにも言い分はあるだろう。ここをなおせ、ここを変えろ、ここを改めろ――。これらは全て選手を思ってのことであり、よかれと思ってやっていることだと。「最近の選手は、すぐに答えを求めたがる」

 逆にそう、こぼすコーチもいる。

 今の時代、スマホでググれば、ほんの数秒で求めていた答えに到達することができる。だがスポーツに必要なスキルは、苦難の道のりを経ずして身に付けることはできない。

 アドバイスを求められても、手取り足取り教えるのではなく「自分で考えろ」と突き放す態度も、時には必要なのではないか。

 最悪なのは、複数のコーチによる“集団指導”だ。監督まで加わり、まるで盆栽の手入れでもするかのように、いじり回している場面を、よく目にする。

 指導を受ける選手も大変だろう。右を向いて「ハイ!」、左を向いて「ハイ!」、前を向いて「ハイ!」。聖徳太子は11歳の時、子供36人の話を同時に聞き取ることができたと記されているが、それは、あくまでも「神話」の世界の出来事である。

 選手には「聞く力」と同時に「聞き流す力」も求められる。自らに合わないことまでやっていたら体がもたない。どのアドバイスに耳を傾けるか。それこそは自らの判断であり、主体性が試されるのだ。要は成功するのも自分なら、失敗するのも自分だということである。

※上部の写真はイメージです。
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