6人中6番目の評価だった森保一
マイナー競技まで含めると、日本代表は、おびただしい数になるが、その采配に最も注目が集まるのがサッカーの代表監督である。
勝てば官軍、負ければ賊軍――。続投の決まった森保一に対し、Jリーグの監督経験者がボソッとつぶやいた。
「いくらやり甲斐のある仕事だからといって、あと4年もやるなんて信じられない。負ければボロクソ、家族だってSNSで標的になることがある。僕なんてクラブの監督をちょっとやっただけで、胃に穴が開いてしまったよ(笑)。森保監督は、いったい、どんなメンタルをしているのか。いい意味で“鈍感”なんでしょうね」
無名選手から日本代表選手、そして日本代表監督にまで上り詰め、先のカタールW杯でドイツやスペインを撃破する殊勲を立てた森保には「サッカー界の豊臣秀吉」のイメージがある。
しかし、その道のりは決して平坦ではなかった。Jリーグの前身日本サッカーリーグ(JSL)でプレーするには、実績も技能も不足していた。
長崎日大高を卒業した森保は同校監督・下田規貴の伝手を頼ってJSL1部マツダのテストを受ける。マツダには下田と親交のあるGM今西和男がいた。
なぜ大学に進まなかったのか?
「国見(長崎県の強豪)の選手に負けたくなかったからです。国見の選手は全国大会で活躍しているから、ほとんどがサッカーの強い大学にスカウトされていく。そして4年後、JSLのチームに入団する。彼らに勝つには、最初からJSLのチームに入り、4年間みっちりと自分を鍛えるしかない。そう思ったんです」
マツダの採用枠は5人。採用候補生6人の高校生の中で、森保は6番目の評価だった。
チームの育成部門を担当していた高田豊治は合宿最終日の夜、森保にこう告げた。
「マツダに入っても、試合に出られるかわからんぞ」
暗に引導を渡したつもりだった。
しかし、目の前の高校3年生は、しっかりと高田の目を見据えたまま、畳にひざまずき、手を付いて、こう言い切った。
「それでも僕はチャレンジしたいです」
高田は今西に願い出た。
「彼には強いメンタルがある。できれば採用して欲しい」
その結果、特例として子会社での採用が認められる。ここから運命の歯車がコトンと音を立てて回り始めるのである。
思う一念岩をも通す――。
森保一こそは“今太閤”だと思う所以である。
※上部の写真はイメージです。
初出=週刊漫画ゴラク2023年1月27日発売号