コミュニケーションが円滑に進み、生産性も高まる
無理して人に好かれようとは思わないが、わざわざ嫌われる必要もない――。
人間関係について聞かれると、きっと多くの人がこう答えるに違いない。
過日、心理学関係の本を読んでいて、「ネームコーリング」という用語を知った。
会話の中に、何気なく相手の名前を入れるだけで、コミュニケーションが円滑に進み、生産性も高まるというのだ。
仮に会議で、その部署のリーダーが新しい方針を説明したとする。
「誰か質問は?」
これだと誰も手を挙げない。
「Aさん、聞いていてどう思った?」
リーダーは、こう問いかけなくてはならない。部員は名指しされた時点で、当事者意識に目覚める。
いきおい、口にする質問や意見も具体的かつ建設的なものとなる。こうして会議は熱を帯び始めるのである。
「皆さん、今日はいろいろといい質問や意見をありがとう。とても参考になった」
これもリーダー失格である。
「Aさんの質問はシビアだったけど、方針の弱点が浮き彫りになった。いや、Aさん、さすがだよ」
「Bさんの意見はいつもユニークだな。思いつきもしなかった。聞いておいてよかった」
このように折に触れて個人の名前を挟むことで、部員は承認欲求が満たされると同時に、リーダーへの親近感を増していく。これが「ネームコーリング効果」である。
無学の身ながら総理大臣にまで上り詰め、数々の改革を断行した田中角栄には『日本列島改造論』というベストセラーがある。
これをプロデュースした通産官僚の小長啓一は“角栄の懐刀”と呼ばれた人物だが、「角さんは陳情にくる人たち全ての名前を覚えており、きちんと名前を呼んで対応していた」と語っていた。
天下の総理大臣に名前を覚えてもらっているだけでもありがたいのに、話まで聞いてくれる。名もなき陳情者は天にも昇る気持ちだったはずだ。田中が“庶民宰相”と呼ばれ、親しまれた所以である。
スポーツ界ではサッカー日本代表監督・森保一に“庶民宰相”ならぬ“庶民監督”の資質を見る。
「広島の監督時代、彼は久しぶりに会ったサポーターに対しても、きちんとその人の名前を呼んで話していた。それは代表監督になった今も変わっていません」(広島時代の同僚・吉田安孝)
自分を知って欲しい。自分を認めてもらいたい。それは人間の根源的な欲求だ。名前で呼ぶことの重要性を、私たちはもっと自覚すべきだろう。
初出=週刊漫画ゴラク2023年7月28日発売号