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「40-40」の黒歴史。無視されたボンズ【二宮清純 スポーツの嵐】

Text:二宮清純

ボンズは「30-30」も4度達成

 ドジャースの大谷翔平が8月23日(現地時間)、本拠地のレイズ戦で達成した「40-40(40本塁打、40盗塁)」が話題をさらった。

 長いMLBの歴史の中で「40-40」を達成した選手は次の6人だけだ。

ホセ・カンセコ(アスレチックス)42本塁打・40盗塁=88年
バリー・ボンズ(ジャイアンツ)42本塁打・40盗塁=96年
アレックス・ロドリゲス(マリナーズ)42本塁打・46盗塁=98年
アルフォンソ・ソリアーノ(ナショナルズ)46本塁打・41盗塁=06年
ロナルド・アクーニャ・ジュニア(ブレーブス)41本塁打・73盗塁=23年
大谷翔平(ドジャース)44本塁打・43盗塁=24年9月1日現在

 この6人の中で最も早い到達者は大谷の126試合。ソリアーノがマークした147試合より、21試合も早かった。

 さて「40-40」に比べるとワンランク落ちるが、ボンズは「30-30」も4度達成している。

90年=33本塁打・52盗塁
92年=34本塁打・39盗塁
95年=33本塁打・31盗塁
97年=40本塁打・37盗塁

 ボンズはMLB史上最多となる762本塁打の他、シーズン最多の73本塁打、史上唯一の「500本塁打&500盗塁」など、数々のMLB記録を保持している。

 にもかかわらず、彼を称賛する声が少ないのは、筋肉増強剤などの薬物使用疑惑が影を落としているためだ。

 ボンズが初めて薬物に手を染めたのは98年のシーズン終了後。MLBがドーピングに対する罰則規定を設けたのは04年からだ。

 すなわちボンズの「40-40」「30-30」は、薬物未使用の時代に生まれたものだ。

 では、走攻守全てに優れたボンズは、なぜ薬物に手を染めたのか。

 直接の原因は98年に繰り広げられたマーク・マグワイアとサミー・ソーサによる“世紀の本塁打王争い”である。マグワイアは70本、ソーサは66本の本塁打を放ち、全米の耳目を集めた。

 ボンズは悔しかったに違いない。メディアは連日にわたって2人のマッチアップを報じ、彼は無視された。

 マグワイアとソーサの薬物疑惑は、当時からささやかれていた。

「本塁打にしか注目が集まらないならオレだって……」

 2人への嫉妬と自らへの不当な評価が、ボンズを薬物に走らせたのではないか。

 ボンズは“我が道”を行けばよかったのだが……。

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