“井筒3兄弟”として注目を集めた
年の瀬にショッキングなニュースが飛び込んできた。
12月17日、元関脇・寺尾の錣山親方(本名・福薗好文)が、うっ血性心不全のため東京都内の病院で息を引き取ったのだ。まだ60歳だった。
寺尾は元関脇・鶴ヶ峰の三男。長男・鶴嶺山(元十両)、次男・逆鉾(元関脇、元井筒親方)とともに、“井筒3兄弟”として注目を集めた。長男は60歳、次男は58歳で世を去っている。
現役時代は“花のサンパチ組”のひとりとして人気を博した。昭和38(1963)年生まれの力士からは、双羽黒、北勝海(現八角親方・日本相撲協会理事長)と、ふたりの横綱が誕生している。ハワイ生まれではあるが、元大関・小錦もサンパチ組のひとりだ。
突っ張り一筋の相撲人生だった。引き締まった体躯に甘いマスク。誰が相手でも気風のいい取り口で好角家を魅了した。
忘れられないのは、平成元(1989)年1月16日、初場所中日で横綱・千代の富士を破った一番だ。
いったい、どれだけのざぶとんが国技館を舞ったことだろう。
寺尾は千代の富士と17回対戦しているが、勝ったのはこの一回だけだ。
この日まで、千代の富士は7戦全勝。対する寺尾は3勝4敗。中日での千代の富士の勝ち越しを疑う者は、ひとりもいなかった。
それくらい、この頃の千代の富士は強かった。この初場所に5場所連続優勝をかけていた。
この日も、寺尾は立ち合いから突っかけた。回転のいい突っ張りを、横綱の鋼鉄のような胸に、2ダースほどぶち込んだ。
しかし、千代の富士は歯牙にもかけない。いつものこととだとばかりに、軽く受け流していた。
まわしを取れば、そこで勝負は終わる。千代の富士はがっちりと左上手を引き、土俵際まで寄っていった。
そして仕上げとばかりに寺尾の首根っこを抑え、力任せに叩きつけようとした。
と、その時である。無我夢中で寺尾が右足を飛ばすと、それが千代の富士の左足首に引っかかった。次の瞬間、バランスを崩した横綱は腰から土俵に崩れ落ちた。捨て身の外掛けが最高のタイミングで決まったのだ。
後年、この勝負について訊ねると、寺尾は「うれしかったけど、最後の方はよく覚えていないんです」と首をかしげながら言った。
大横綱・千代の富士も8年前に61歳で他界している。各界の英雄たちは、“歴史上の人物”になるのが早過ぎる。
初出=週刊漫画ゴラク2024年1月12日発売号