母の教え
東京・巣鴨で生まれたお嬢さん育ちだった母だが、戦争により一家が離散してしまった。終戦し、動乱が収まった時に父と知り合い結婚。私を産んでくれた。だが私が5歳の時に親父が亡くなった。以降、母は自分と姉を育てるためになりふり構わず仕事をしていた。母の夢は女学校を出て教員になることだったが教員にはなれなかった。
それだけに母の夢は姉と自分が教育者になることだった。姉は幼稚園の教員になり、自分も社会人を経て教育者として高校に戻ることができたので、母は嬉しかったと思う。苦労は絶えなかったと思う。貧乏だった。それにもかかわらず、お金のかかる野球を私にやらせてくれた。また、姉も自分も私立の高校・大学を出してもらった。
私はやんちゃだけど運動神経は良かったので、プロ野球選手になってほしいと少し期待していたそうだ。 母は、好きな野球も思いっきりやらせてくれた。怒る時はめちゃくちゃ怒ったけど無理してでもやらせてくれるときはやらせてくれた。
私が中学生の時だ。母が中学校の校長室に呼ばれて「あんたのところの息子はまったく……」と注意されたことがあった。母は「すみません」と頭を下げて、ふと校長室から外を見た。すると野球の練習に励む私の姿があった。その時に、母は「素行が悪いのはちゃんと注意するから、好きなことは思いきりやらせてあげてください」と校長に言ったそうだ。すると校長が「お母さんがそこまで言うんだったら、お母さんの責任の下でしっかりお願いしますよ」と答えたという。この寛容さは、私の指導にも繋がっていると思う。
力不足でプロ野球選手にはなれなかったが、指導者として全国大会へ何度も行き、何人もの選手をプロ野球界へ送り出した。2014年には全国大会でベスト4になって、翌年には私の息子・優一が曲がりなりにもプロのユニフォームを着たことは、母にとって本望だったと思う。
優一がドラフト指名された翌年の春に母は亡くなってしまうのだが、それも劇的だった。春季リーグを優勝して全日本大学野球選手権に出場したのだが初戦で東北福祉大に0対5と敗戦。東京ドームでの試合が終わった後に、母は「近いから巣鴨に行きたい。連れて行って」と言った。
姉と義兄に車に乗せてもらった私は母とともに巣鴨に行き、「自分の実家はこの辺にあったんだよ」「小学校のころ、ここらへんで遊んだんだよ」「ここのお寺でよく鬼ごっこをしたんだよ」と懐かしそうに幼少期を振り返っていた。その時に桜の木も触って、「私が小さい頃はこの桜の木も小さかったんだ」と言った。多分、あの桜の木を触った時にはもう最期を悟っていたのだろう。その帰りに誤飲性の肺炎になってしまった。
母が倒れた連絡を受けたのは宿舎に帰ってミーティングをしていた時だ。すぐに病院に行き、お医者さんから「今日一日もつかどうかだ」と言われた。だから一晩中、母の顔を見ていた。朝方ウトウトしていたら呼吸が正常ではなくなって6時30分に、看護婦さんが来て「もう危篤状態だから全員呼んでください」と言われた。その後、母は亡くなった。
母がすごいのは、斎場も何もかもすべて用意していたことだ。斎場に連絡してみると「次の日は空いています。そこから3日間空いています」と言われたので、私が東京にいる間に葬儀を行うことにした。「母が全部決めていたんじゃないのか?」とさえ思うほどのタイミングだった。私が全日本大学野球選手権に出ていなければ、初戦の会場が東京ドームでなければ、一緒に巣鴨にいくことも無かっただろう。そして葬儀と告別式は、私が網走に戻らなくてはいけない日までにすべて終わった。
自分の人生のけじめ。絶対に迷惑はかけないという気持ちが伝わった。葬儀は「質素にやってくれ」と人入るかどうかの一番小さい斎場を母は希望していた。斎場の20人も「ただの90代の婆さんが死んだ」くらいに思っていたのか、「これでいいんじゃないですか?」と聞いてきたけど、「お金はいくらかかってもいいから」と一番広い会場に変更してもらった。それでも斎場の人は「ここに300基くらいの花を置かないと格好がつかない。せめて200基。大丈夫ですか?」と聞いてきたが、「花なんてどうでもいいんだ。恥をかかないようにやってくれ」と答えた。
当日になってみれば私と懇意の野球関係者からたくさんの花が届いた。ソフトバンク球団の王貞治会長などから多くの花が届いて斎場の人が「あのおばあさんはどんな人なんですか?」と驚いたようだ。しかも、出棺のお経を読んでいる時には、優一がソフトバンクですごく可愛がってもらっていた内川聖一からも花が届いて、みんな驚いていた。
父が亡くなった後は私と姉と母が4畳半に川の字で寝るなど貧乏のどん底という苦労もしたけれど、最後は幸せだったんじゃないかと思う。私としては、ここまでよく育ててくれたと感謝してもしきれない。
出典:『東農大オホーツク流プロ野球選手の育て方』著/樋越勉
『東農大オホーツク流 プロ野球選手の育て方』
著者:樋越勉
多くのプロ野球選手を輩出する北の最果て、北海道網走市にある東京農業大学オホーツクキャンパス野球部。恵まれた施設環境ではないにも関わらず、なぜ有力選手が育つのか⁉東農大学野球部のカリスマ、樋越監督の選手を見抜く眼力と、その育成術を紹介‼プロ野球選手の育て方、ドラフトへ送り込む手腕、練習環境の整え方などを、具体的に解説するプロ野球ファンや指導者必見の一冊。愛弟子の周東佑京のコメントも収録。
公開日:2022.03.04