親鸞が否定した“即身成仏” 善悪を超えた救いの道とは【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】


易行の道は善人も悪人も関係ありません
第十五条では「悟り」について、親鸞の考え方が書かれています。
冒頭でいきなり、「煩悩をそなえた身のままこの世で悟りを開くことができる」という考え方を強く否定しています。「煩悩をそなえた身のままこの世で仏になる」という「即身成仏」の考え方は密教の教えです。「即身成仏」の考え方では
厳しい修行を必要とします。いっぽう親鸞は人は死後に「悟り」を開くと考えていました。厳しい修行は必要とせず、善人も悪人も分け隔てなく救われるというのが親鸞の教えですから、密教の考え方を強く否定したのです。
この世で煩悩を断ち、罪悪を滅することなど簡単にできることではありません。厳しい修行を重ねる僧侶であっても来世で「悟り」を開くことを祈ります。私たちのような凡夫(悟りを開いていない普通の人)が、この世で「悟り」を開くことなどできるはずはありません。しかしこんな私たちでも、「阿弥陀仏の御誓願」という船に乗り、苦しみに満ちた迷いの海を渡り、浄土の岸にたどり着くことができたら、たどり着いたすべての人は救われます。そのときこそはじめて「悟り」を開いたこととなるのです。
第十五条では、親鸞が記した自身の和讃(経典をわかりやすく七五調の歌にしたもの)を引用し、信心が定まったときに阿弥陀仏に摂取(犯してしまった罪が許される)されるということを強調しています。
この摂取は、輪廻転生からの解放を意味し、真の安らぎをもたらすのです。親鸞は現世での成仏(悟り)を否定し、来世の浄土における成仏(悟り)を強く説いています。
「煩悩をそなえた身のまま、この世で悟りを開くことができる」という教えは間違いです!

親鸞は「即身成仏」の考え方を強く否定し、善人も悪人も分け隔てなく救われると考えていました。
((悟りとは… ))

ワンポイント!
『歎異抄』では悟りのことを月にたとえて「法性の覚月(ほうしょうのかくげつ)」と表現しています。弥陀の本願は「舟」にたとえ、煩悩にまみれた世界は「海」にたとえています。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』監修:山口謠司
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』
監修:山口謠司
「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」――親鸞の死後に弟子の唯円が師の言葉をまとめた「歎異抄」。
仏教書の中でも、現代に必要とされる「安心」と「他力本願」の奥義がわりやすく、生きる力や癒やしにつながると根強い人気があります。700年以上前に親鸞が説いた、この今を生き抜くための名言には、「生きることはどういうことなのか」「信じた道をつき進めるか」「悪人こそが救われる」などという内容の言葉が書き起こされていますが、それは逆説的な意味合いを込めた、「明日を生きる力がわいてくる珠玉の名言」なのです。
日常生活に大いに役立つ歎異抄の世界。語り継がれる親鸞聖人の言葉は、現代社会に大きな影響を与えているといってもいいでしょう。
本書は歎異抄の世界をひもとき、親鸞聖人の考え方をどのように応用すれば、厳しい現代社会を生き抜くことができるかを、図やイラストをふんだんに使い、わかりやすく解説した一冊です。
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