さらばホーガン。不沈艦と肉弾戦【二宮清純 スポーツの嵐】

「プロレスのワンダーランド」

 さる7月24日(現地時間)、急性心筋梗塞により71歳で世を去ったハルク・ホーガン(本名テリー・ユージーン・ボレア)への追悼文を依頼された私は、スポニチ紙(7月26日付け)に<個人的に忘れられないのは、1981年5月10日、後楽園ホールでのスタン・ハンセン戦だ>と書き、こう続けた。

<あれは少年の頃に田舎の映画館で観たゴジラ対キングギドラの、人間による実写版だった。ベビーフェイス対ヒールというプロレスの基本的な対立構造を、枠組みごと取っ払ってしまった象徴的にして画期的な一騎打ちとして記憶に残っている>

 格闘技やプロレスをフィールドにするライターは、よく「肉弾相打つ」という表現を用いる。それを地で行くスーパーヘビー級の魅力満載の白熱のファイトだった。

 この試合はセミ・ファイナルとして行なわれた。メイン・イベントはアントニオ猪木&藤波辰爾組対サージェント・スローター&マイク・マスターズ戦。新日本プロレスはセミとメインを逆にしてもよかったのではないか。

 先にリングに上がったホーガンが、先輩格のハンセンの登場を待つ。身長194センチ、体重140キロのハンセンが“不沈艦”なら、身長201センチ、体重137キロのホーガンは“超人”だ。

 殴る、蹴る、締め上げる。シンプルこの上ない攻防だが、それがいいのだ。磨き抜いた技を競い合うのもプロレスなら、鍛え上げた肉体をぶつけ合うのもプロレスである。

 ハイライトは両雄の自爆合戦。エルボードロップやギロチンドロップを失敗するたびに、マットがきしみ、リングが揺れた。

 ドッスン、ズッシン、バッコン。視覚に訴えかけるだけがプロレスではない。聴覚に訴えかけるプロレスもあるのだと、リングサイドにいた私は、この時初めて知った。

 その意味で、まさしく当時の新日本プロレスは、古舘伊知郎アナウンサー言うところの「プロレスのワンダーランド」だった。観客に入場料以上の格闘エンターテインメントを提供していた。

 試合に戻ろう。壮絶なる自爆合戦を繰り広げた後、ホーガンのエルボーが炸裂してハンセンを場外に突き落とす。そのハンセンに足を引っ張られてホーガンも場外へ。乱闘の渦中に飛び出したラリアットが決め手となり、ハンセンがリングアウト勝ちを収めた。

 3ポンドのステーキをひとりで平らげても、これだけの“満腹感”は得られないだろう。一人の目撃人として、今はホーガンにもハンセンにも感謝である。

初出=週刊漫画ゴラク2025年8月29日発売号

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