阿弥陀仏への改心は一度だけでいい? 浄土へ導く教えとは【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

阿弥陀仏の救いを疑わないことが大切

第十六条の冒頭では、「阿弥陀如来を信じ念仏を唱える人は、腹を立てたり、よくないことをしたり、同じ念仏の仲間と口論したなら、必ずその度に心を改めなければならないという人がいます。これは悪を断ちきり、善を修めて浄土へ往生しようという考えなのでしょうか?」と書かれています。

「阿弥陀仏の本願」を信じて念仏をする人にとって、「心を改めること」はたった一度きりのことです。

「心を改めるということ」は、今まで阿弥陀仏の力を知らなかった人が、このままでは浄土に往生することができないと気づき、自力の心を捨て阿弥陀仏の救いにすがると覚悟を決めたときだけです。ですから親鸞は、「心を改めるのは一回だけである」と説いているのです。

また「阿弥陀仏の誓願」を信じると口では言いながらも、「阿弥陀仏は善人だけを救う」と、心の中では違うことを考えている人もいます。そんな人は「辺地」と言われる「方便の浄土(仮の浄土)」でしか往生できません。阿弥陀仏の救いを疑わないことが大切なのです。

阿弥陀仏を信じ続けるという覚悟さえ決められれば、念仏を唱える人を浄土へつれて行くのは阿弥陀仏のお仕事ですから、後は念仏を唱えるだけです。覚悟を決めた後は何も考えなくてもいいのです。そうすれば念仏も自然に口をついて出てきます。これが「おのずとそうなる」ということだと親鸞は言っています。

阿弥陀仏の本願を信じる者は、日々の行いに捉われることなく、阿弥陀仏への感謝の気持ちだけを大切にすればいいのです。


日々の行いに捉われることなく、阿弥陀仏への感謝の気持ちだけを大切にすればいい!

「方便の浄土」(仮の浄土)でしか往生できない→阿弥陀仏の救いを心から信じると改心する=往生できる

「阿弥陀仏の誓願」を信じることさえできれば、後は何も考えなくていいのです。念仏は自然と口をついて出てきます。

ワンポイント!

穏やかな気持ちで人と争わない、他者を許す寛容な心を「柔和(にゅうわ)」と言います。反対に中傷や不当な扱いをされても耐え忍ぶことを「忍辱(にんにく)」と言います。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』監修:山口謠司

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』
監修:山口謠司


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「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」――親鸞の死後に弟子の唯円が師の言葉をまとめた「歎異抄」。
仏教書の中でも、現代に必要とされる「安心」と「他力本願」の奥義がわりやすく、生きる力や癒やしにつながると根強い人気があります。700年以上前に親鸞が説いた、この今を生き抜くための名言には、「生きることはどういうことなのか」「信じた道をつき進めるか」「悪人こそが救われる」などという内容の言葉が書き起こされていますが、それは逆説的な意味合いを込めた、「明日を生きる力がわいてくる珠玉の名言」なのです。
日常生活に大いに役立つ歎異抄の世界。語り継がれる親鸞聖人の言葉は、現代社会に大きな影響を与えているといってもいいでしょう。
本書は歎異抄の世界をひもとき、親鸞聖人の考え方をどのように応用すれば、厳しい現代社会を生き抜くことができるかを、図やイラストをふんだんに使い、わかりやすく解説した一冊です。

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