人を助けるときは「最後まで責任を持つ」──親鸞が語る、本当のやさしさとは【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】

人を助けるときは、「最後まで責任を持つ」

今生に、いかにいとほし不便とおもふとも、存知のごとくたすけがたければ、この慈悲始終なし。―――第四条

訳:この世では、人がどんなにかわいそうで気の毒だと思っても、自分の思いどおりに助けてあげることさえできません。「仏の慈悲」も、完全なものではないのです。

ボランティア活動をしようとしても、永久的に活動を続けるのは難しいものです。街中で捨て猫がブル
ブルと震えていたら、多くの人たちはかわいそうと思うでしょう。しかし猫を助けてあげたいと思い家に連れて帰ったなら、面倒を途中で投げ出してはいけません。途中で投げ出してしまうのは、本当のやさしさではないのです。他者に対し手を差し伸べる心を持つことは悪いことではありませんが、いつどんなときでも、困っている人を助けてあげられるとは限らないのです。人助けができない人だからとはいえ、イコール冷たい人間というわけではありません。親鸞はこの言葉を通じ、「自分にできることを精一杯やることが大切だ」ということを説いているのでしょう。

「本当のやさしさとは、最後まで助けることができてこそ意味がある」ことなのです。途中で投げ出してしまうくらいなら、それは本当のやさしさではありません。

人を助けるときは、「最後まで責任を持つ」ことが重要なことなのです。そして自分の力の限界を知り、無理をせず「自分にできることは何なのか」を知ることが大切です。


慈悲終始なし

「仏の慈悲は完全なものではない」という意味です。
念仏がいかに大切なものであるかをこの言葉の後にのべています。

自分の力の限界を知り、「自分にできることは何か」を知ることが大切なことです。

いつどんなときでも、困っている人を助けてあげられるとは限らないものです!

人助けができないことはイコール冷たい人間ではない

人を助けようと思ったら「最後まで責任を持つ」ことが重要なことです。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』監修:山口謠司

【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』
監修:山口謠司


【Amazonで購入する】

「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」――親鸞の死後に弟子の唯円が師の言葉をまとめた「歎異抄」。
仏教書の中でも、現代に必要とされる「安心」と「他力本願」の奥義がわりやすく、生きる力や癒やしにつながると根強い人気があります。700年以上前に親鸞が説いた、この今を生き抜くための名言には、「生きることはどういうことなのか」「信じた道をつき進めるか」「悪人こそが救われる」などという内容の言葉が書き起こされていますが、それは逆説的な意味合いを込めた、「明日を生きる力がわいてくる珠玉の名言」なのです。
日常生活に大いに役立つ歎異抄の世界。語り継がれる親鸞聖人の言葉は、現代社会に大きな影響を与えているといってもいいでしょう。
本書は歎異抄の世界をひもとき、親鸞聖人の考え方をどのように応用すれば、厳しい現代社会を生き抜くことができるかを、図やイラストをふんだんに使い、わかりやすく解説した一冊です。

この記事のCategory

インフォテキストが入ります