親鸞が一度も両親のために念仏を唱えなかった理由とは!?【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】


親鸞が一度も両親のために念仏を唱えなかった理由
第五条で親鸞は、亡くなった両親のために一度も念仏を唱えたことがないと記されています。当時は亡くなった人に対しては、当たり前のように念仏を唱えていました。
今の世でも多くの人たちが親の墓参りをしていると思います。しかし親鸞はなぜ両親のために念仏を一度も唱えたことがなかったのでしょうか。それは人類すべての人たちは自分とつながっていると考えていたからでした。
親鸞は両親だけ特別扱いせず、この世のすべての人たちを救済することが「孝行」だと考えていたからです。
つまり親鸞は自分の両親だけでなく、友人知人分け隔てなくすべての人々を救いたいと考えていたのです。この世に生きるすべての人々が阿弥陀仏の救いの対象であるのだから、「両親のみならず人は平等に幸せになる権利がある」というのが親鸞の考え方です。
親鸞にとっての本当の親孝行とは、すべての人々を救うことです。
すべての人々の中には当然両親も含まれます。となれば、すべての人々を救うために念仏と唱えることは、両親を救うことにもつながると考えていたため、親鸞は一度も両親のために念仏を唱えなかったのです。
親鸞のこの考え方は、現代社会に生きる私たちに向けて大切なことを教えています。親鸞の教えの根本にあるのは「人々を思いやる優しい心」を持つことです。
それは自分のことだけでなく、友人知人など、周りの人たちを大切にし、互いに助け合うことが重要であることを教えています。
親鸞は亡くなった両親のために一度も念仏を唱えなかった

親鸞は両親だけでなく、友人知人分け隔てなくすべての人を救いたいと考えていました。




「人々を思いやる優しい心」を持つことが親鸞の教えの根本にはあります。
ワンポイント!
自力によって徳を積み、自分だけが幸せになるのではなく、他者も救わなければなりません。みんなで救われようとすることを「回向(えこう)」と言います。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』監修:山口謠司
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』
監修:山口謠司
「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」――親鸞の死後に弟子の唯円が師の言葉をまとめた「歎異抄」。
仏教書の中でも、現代に必要とされる「安心」と「他力本願」の奥義がわりやすく、生きる力や癒やしにつながると根強い人気があります。700年以上前に親鸞が説いた、この今を生き抜くための名言には、「生きることはどういうことなのか」「信じた道をつき進めるか」「悪人こそが救われる」などという内容の言葉が書き起こされていますが、それは逆説的な意味合いを込めた、「明日を生きる力がわいてくる珠玉の名言」なのです。
日常生活に大いに役立つ歎異抄の世界。語り継がれる親鸞聖人の言葉は、現代社会に大きな影響を与えているといってもいいでしょう。
本書は歎異抄の世界をひもとき、親鸞聖人の考え方をどのように応用すれば、厳しい現代社会を生き抜くことができるかを、図やイラストをふんだんに使い、わかりやすく解説した一冊です。
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