100年目を迎えた日光のアイスホッケークラブが誓う「継承・発展」と「初優勝」

創設100年を迎えたH.C栃木日光アイスバックス

 日光東照宮や華厳の滝などで知られる関東屈指の観光地である栃木県日光市。2006年に今市市などと合併して現日光市が誕生しているが、旧日光市だけで限れば人口10,461人、5488世帯(2025年8月現在)。
 そんな小さな街に根付き100年目を迎えたチームがある。それがプロアイスホッケーチームであるH.C栃木日光アイスバックスだ。前身は1925年創設の古河電工アイスホッケー部。全日本選手権では1953年に初優勝し、59年と60年には連覇を達成し、日光市民から愛されてきた。
 一方で、99年に不況による合理化策の一環でチームは休部。市民が中心となって日本最古のアイスホッケーチームを承継し、現在のチームが創設。幾度もチーム消滅の危機に瀕しながらも市民やファン、関係者の熱意で歴史を途絶えさせることなく、チームを存続させてきた。
 そして、今では国内および韓国を含めたトップリーグである「アジアリーグアイスホッケー」において優勝争いをするチームにまでなり、全日本選手権では2023年と24年に連覇(4回目の優勝)を達成する強豪にまで成長を続けている。
 それだけに100年の節目を迎えたチームの士気は高く、今年は12月の全日本選手権3連覇を目指すとともに、9月13日開幕のアジアリーグ初優勝も目指している。

強くなってきたからこそ、節目の年に成し遂げたい「初のリーグ制覇」

 100年の歴史を紡いできたチームながら実は「リーグ優勝」は一度も無い。
 「節目の年にふさわしい結果、今までリーグ制覇をした経験がないので、ここでやっぱりリーグ制覇をしたいです」そう語るのは就任5季目を迎える藤澤悌史監督だ。自身も古河電工とアイスバックスのOBだ。アイスバックス設立当初は「一言でいろんなことがあったと言えないほど、本当にいろんなことがありました」と振り返る。だからこそ、感謝の思いは強い。
 「人口の少ない日光というところで26年もよくやってきたなということ。ファンが地域に密着して支えてくれたから今があると強く感じています」

藤澤悌史監督

 ファンの期待も変わってきた。設立当初は「“いつ勝つかわからないから毎回来ないといけない“と言われていました(笑)」と懐かしそうに振り返るが、強豪に変貌したチームは結果も求められるようになってきた。
 だが、その中でも「ファンの熱さはまったく変わっていません」と話し、「長年応援してくださっている方々の顔ぶれに今もリンクで会えるのは本当に嬉しいですし、そのご家族や子供たちがまたファンになってくれるのも大きな喜びです」と語る。その恩返しとしての栄冠を届けたい気持ちは強い。

日光で生まれ育ち、日本代表にも選ばれた大津晃介からのメッセージ

 家族として受け継がれていく思いは、ファンだけではない。選手も同じだ。日光市出身者が複数おり、昨季から移籍加入した大津晃介も父・英人さんがチームのOBで、日光で生まれ育った。
 常にアイスホッケーは身近な存在。下校後は古河電工の社宅団地の駐車場で「10人くらいで集まって、父が現役時代に使っていた木のスティックそのまま使って」と、それは遊びでも練習でもあり、社業を終えた父が仕事から帰ってくれると指導もしてくれた。冬は近くの細尾ドームリンクに行って草ホッケー。生活の中心はアイスホッケーで、高校(日光明峰)まで地元で腕を磨き、明治大を経て日本製紙クレインズ(北海道釧路市)で活躍し、日本代表にも選ばれた。

大津晃介選手

 それだけ人生を共にしてきたアイスホッケーだが「チームが消滅する」という苦難も味わった。日本製紙は2019年に廃部。ひがし北海道クレインズが後継チームとして誕生するが、経営不振に陥り2023年をもってアジアリーグを脱退。新たに釧路を拠点に北海道ワイルズが設立され、大津も移籍したが、アジアリーグ加盟は認められず、1シーズン後に東京へ移転。数多くの名選手を輩出してきた釧路からトップカテゴリーのチームが消滅してしまい、大津もアイスバックスへ移籍した。
 「途切れてしまう、終わってしまう経験をして、それがどれだけ苦しくて悲しいことを感じました。だからアイスバックスを含む日光の歴史や文化を継承していく責任がある。そこには全力で取り組んでいきたいです」
 そして継続だけではない。「地域に支えられて続いてきた歴史を絶やさず、さらに大きくしていきたい。続けるだけでなく、発展させる責任があると思います」という使命を持って、今季にかける。
 今年は100周年ということで様々なイベントや試みが行われる。その中にはアイスバックスOBの日光市・瀬高哲雄市長らにも協力を仰いだ日光市内の小学生全児童の招待などもある。父兄を含め「初めてアイスホッケーを観る」という体験機会が多く用意されている。
 大津は「ホッケーは展開が早く、攻守が目まぐるしく入れ替わり、コンタクトも激しい。他の競技にはないスリリングさがあります。さらに室内競技なので選手の声も聞こえる。そういう部分も楽しんでほしいです」とし、「僕自身はスピードを大事にしているので、そこも注目してください」とアピール。
 初の栄冠と、紡いできた100年の歴史・文化のさらなる発展。この2つを追い求める2025-26シーズンがいよいよ幕を開ける。

 次回は、アジアリーグ序盤の戦いぶりや、20年にわたりシニアディレクターを務めるセルジオ越後氏が語るアイスバックスの未来やアイスバックスだからこそ与えられる日本のスポーツ・社会への影響を紹介する。
                                      文章/高木遊

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