お布施の多さと仏の大きさは無関係【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】


お布施の多さと仏の大きさは無関係
道場や寺院に、布施として寄進する金品が多いか少ないかによって、浄土での仏の大きさが変わるという考え方は言語道断、まったく筋の通らない話です。
阿弥陀仏の大きさについては教典には説かれていますが、これは一般の人にわかりやすく理解させるための「方便」です。
「阿弥陀仏の本質」は、長いとか短いとか、四角いとか丸いという形を超越し、また青・黄・赤・白・黒などの色もなく、ましてや大小を決めることなどあり得ません。教典には、瞑想を繰り返すことによって仏のお姿を脳裏に思い描く修行も説かれていますが、こうした行法によれば、大声の念仏には大きな仏が、小さな念仏には小さな仏が現れるのかもしれません。ひょっとしたらこのような行法の考えが、仏の大小を説く理由になったのかもしれません。
多くの財宝を仏前に捧げたとしても、本願を信じる心が欠けていたなら、本当の救いにはならないのです。
寺や僧侶に対し、ほんのわずかな金銭を寄進することがなくても、「阿弥陀仏の本願」のはたらきにすべておまかせし、深い信心さえあれば救っていただけるのです。
このように、寺院などへの寄進の多さによって、死後に成仏したときの「仏の大きさ」が変わるという考え方を、第十八条では強く否定しています。
阿弥陀仏の救いはすべての人に対して平等であり、人間の行いや財力によって左右されるものではないという、親鸞の根本的な教えを改めて強調しています。
寺院などへ寄進が多いからといって、「仏の大きさ」が大きくなることはありません!





ワンポイント!
私たちを救うために現れた阿弥陀仏の姿のことを「方便報身(ほうべんほうじん)」と言います。『歎異抄』では人にわかりやすくするための「方便」という意味で登場します。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』監修:山口謠司
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』
監修:山口謠司
「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」――親鸞の死後に弟子の唯円が師の言葉をまとめた「歎異抄」。
仏教書の中でも、現代に必要とされる「安心」と「他力本願」の奥義がわりやすく、生きる力や癒やしにつながると根強い人気があります。700年以上前に親鸞が説いた、この今を生き抜くための名言には、「生きることはどういうことなのか」「信じた道をつき進めるか」「悪人こそが救われる」などという内容の言葉が書き起こされていますが、それは逆説的な意味合いを込めた、「明日を生きる力がわいてくる珠玉の名言」なのです。
日常生活に大いに役立つ歎異抄の世界。語り継がれる親鸞聖人の言葉は、現代社会に大きな影響を与えているといってもいいでしょう。
本書は歎異抄の世界をひもとき、親鸞聖人の考え方をどのように応用すれば、厳しい現代社会を生き抜くことができるかを、図やイラストをふんだんに使い、わかりやすく解説した一冊です。
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