親鸞と法然の信心は異なっていた?『歎異抄』後序に記された“あとがき”とは!?【眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄】


【後序】阿弥陀仏の信心はひとつしかありません
「後序」とは歎異抄のあとがきにあたるような箇所です。冒頭で親鸞聖人と法然上人の信心は異なるのではないかと、それぞれの弟子たちが論争した場面が書かれています。親鸞聖人は「確かに法然上人は智慧も学識も優れているので、その部分に関しては異なっています。しかし“浄土に往生させていただく信心”という点では、少しも異なることはありません。まったく同じである」と答えています。しかし納得しない弟子たちは法然上人に直接尋ねました。
法然上人は、「私の信心も親鸞の信心も阿弥陀仏からいただいたものから、まったく同じものです」と答えます。この話からわかるとおり、聖教(釈迦の教え)には「真実の教え」と「方便の教え」が入り混っています。その中から「方便の教え」を捨て、「真実の教え」のみいただくことが、親鸞聖人の御本意なのです。
唯円は親鸞の教えが異なった形で広まってしまったため、虚しいことばかり言い合っている姿、特に念仏についての議論の際、自分の意見が正しいと相手に諭すため、親鸞聖人がお仰せになっていないことまで持ち出し、それがあたかも親鸞聖人の言葉であると言い張ることが許せませんでした。唯円は「後序」の最後で、自分は経典や祖師方の書かれた注釈書を深く研究した者ではないが、親鸞聖人が仰せになったことの百分の一ほど、ほんのわずかなことを思い出して記したものが『歎異抄』であると書いています。
現在読まれている『歎異抄』には「後序」の後に「流罪記録」が書かれており、『歎異抄』を世に広めた蓮如(室町時代の浄土真宗の僧)が記した、『歎異抄』に書かれていることは正しいという意の「奥書(おくがき)」が付されています。
聖教(釈迦の教え )には、「真実の教え」と「方便の教え」が入り混じっています!

聖教(( 釈迦の教え))

「真実の教え」だけをいただくのが親鸞聖人の御本意
『歎異抄』の後序の後には「流罪記録」と室町時代の僧侶、蓮如が記した「奥書」が付されています。
ワンポイント!
相手を疑いなじることを「疑難(ぎなん)」と言います。考え方が異なってもなじりあうことなく、阿弥陀仏の本願を信じることが重要だと親鸞は説いています。
【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』監修:山口謠司
【書誌情報】
『眠れなくなるほど面白い 図解 歎異抄』
監修:山口謠司
「善人なおもって往生を遂ぐ。いわんや悪人をや」――親鸞の死後に弟子の唯円が師の言葉をまとめた「歎異抄」。
仏教書の中でも、現代に必要とされる「安心」と「他力本願」の奥義がわりやすく、生きる力や癒やしにつながると根強い人気があります。700年以上前に親鸞が説いた、この今を生き抜くための名言には、「生きることはどういうことなのか」「信じた道をつき進めるか」「悪人こそが救われる」などという内容の言葉が書き起こされていますが、それは逆説的な意味合いを込めた、「明日を生きる力がわいてくる珠玉の名言」なのです。
日常生活に大いに役立つ歎異抄の世界。語り継がれる親鸞聖人の言葉は、現代社会に大きな影響を与えているといってもいいでしょう。
本書は歎異抄の世界をひもとき、親鸞聖人の考え方をどのように応用すれば、厳しい現代社会を生き抜くことができるかを、図やイラストをふんだんに使い、わかりやすく解説した一冊です。
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