SPORTS COLUMN
- スポーツの話題を毎日更新 -

世界に挑んだラグビー名選手

Text:西沢直

日本が誇るトライ王! 大畑大介

15年に開催されたラグビーW杯イングランド大会の開会セレモニーで、日本のレジェンドとして紹介されるや8万人の観衆から大喝采を浴びた元ラガーマン。それが大畑大介だ。

テストマッチ(代表チームによる正式な国際試合)における通算69トライは世界一。テストマッチ年間トライ数17も世界タイ記録。また、テストマッチ1試合トライ数8は日本記録。いわば、日本が世界に誇るトライ王なのである。

京都産業大在学中の96年、日本代表に初招集。以来、07年まで代表に招集され、キップは58。98年に神戸製鋼入りし、99年のW杯に平尾ジャパンのウィング(WTB)として出場するも3戦全敗。次のW杯を自身の集大成とするべく海外に進出する。01~02年は日本のオフシーズンを利用してオーストラリアのノーザンサバーブス・クラブで、02年にはフランスのモンフェラン・クラブでプレイした。02年、W杯アジア最終予選の台湾戦で日本新記録となる8トライを記録したが、翌年のW杯ではまたしても4戦全敗に終わる。W杯2大会でのトライ数は3だった。テストマッチにおける最多トライ数の世界記録を更新したのは06年。だが、その年のリーグ最終節で右アキレス腱を断裂、W杯イヤーでもある07年上半期をリハビリに費やす。8月の代表壮行試合で復帰を果たすも、そのわずか2週間後に行われたポルトガルとの調整試合で今度は左アキレス腱を断裂(!)。3度目のW杯出場はかなわなかった。

トップリーグでも活躍したが、大畑は日本代表としていっそう輝くタイプの選手だった。

ミスター・ラグビー! 平尾誠二

大学選手権3連覇の後日本選手権を7連覇! 伏見工業高3年時に全国高校選手権大会(花園)で優勝している。これが平尾誠二の華々しいキャリアのスタートだった。山口良治監督率いる伏見工業高の物語は、’80年代中期に『スクール☆ウォーズ』(TBS系)というドラマになっている。スタンドオフの平山誠は、平尾がモデルになっている。

同志社大で大学選手権3連覇(82~84年)を成し遂げた。これは同志社大ラグビー部史上初はもちろん、大学選手権史上初のこと(後に帝京大が5連覇を達成)。もっとも、日本選手権では3連敗を喫している。いずれも松尾雄治を擁したV7時代の新日鐵釜石が相手だった。

神戸製鋼では(新日鐵釜石の記録に並ぶ)日本選手権7連覇を達成。キャプテンとして、また主軸選手としてチームを勝利に導いている。試合の流れを変えられるCTBであり、ここ一番に強いSOだった。

代表キャップは35。同志社大在学中、史上最年少の19歳4カ月で代表入りを果たしている。W杯は第1回から第3回まで3大会連続出場。特に第2回大会では日本のW杯初勝利の原動力になった。98年に現役を引退し、99年の第4回W杯には代監督として挑んでいる。神戸製鋼のGMも務めた。

なんというキャリア! 平尾が「ミスター・ラグビー」と呼ばれるのもうなずける。これほどまでに見事なキャリアがあるだろうか。まさにエリート。しかも、持って生まれた「華」がある。空前のラグビーブームも巻き起こした。90年代日本ラグビーの顔である。

誰よりもラグビーを愛した男というよりは、誰よりもラグビーに愛された男なのだろう。16年に夭逝したが「ミスター・ラグビー」という敬称は、彼にこそふさわしい。