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龍谷大平安高出身選手にとっての「背番号25」は、「あの人」へのリスペクト?

Text:取材:文 馬場遼

これが原因で野球を諦めたケースは数多く、現役プロ野球選手の一部も悩んでいると言われるイップス。治し方がいまだに判明しない“謎の病”だ。
昨秋、その病から復活した、いや自ら「進化」して乗り越えた投手がいる。その名は元氏玲仁(もとうじ・れいじ:立命館大⇒4月から社会人野球へ)という。記事の第4回は、元氏が育った龍谷大平安高の卒業生たちのエピソード。

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龍谷大平安高出身の人と話をしていると、原田英彦監督をリスペクトしていると感じることが多い。その象徴が背番号だ。原田監督は社会人の日本新薬時代に背番号25をつけてプレーしていた。

その影響からか、龍谷大平安高OBが大学で25番を選ぶことがたびたび見られる。近年では國學院大の久保田昌也(現日本新薬)、関西大の高橋佑八(現大阪ガス)などが25番をつけている時期があった。
夏の甲子園通算100勝を達成したメンバーである馬場友翔が東京農業大で25番。プロでも髙橋大樹(広島)が入団当初は25番を背負った。

元氏も2年春に初めてベンチ入りした時は先輩が25番をつけていたため、別の背番号になったが、「空いた瞬間に希望しました」と秋から25番に変更したという。
教え子への愛情が深いことで知られている原田監督だが、教え子もまた、原田監督を愛していた。

(初出:【野球太郎No.033 2019ドラフト総決算&2020大展望号 (2019年11月27日発売)】)

取材/文:馬場遼(ばんば・りょう)
1994年生まれ、滋賀県出身。高校の野球部監督だった父の影響で野球を始める。中学時代には岩見雅紀(楽天)と対戦したことも。大学ではスポーツ新聞部に所属し、現在は野球、陸上などの専門誌に寄稿するフリーライター。

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