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新人ながら最多勝/最多奪三振/最優秀防御率/最高勝率の投手四冠に輝いた野茂英雄!

Text:安東渉

平成プロ野球スーパールーキー列伝

平成に入ってから31年、これまでプロ野球では数多のスーパールーキーたちが鮮烈なデビューを飾ってきた。時代の節目となる2020シーズンに向け、そんなスーパールーキーたちをプレイバック!根尾昂、藤原恭大、吉田輝星は彼らに続けるか!?

世界の「ドクターK」はプロ1年目から規格外!野茂英雄

高校卒業後にはプロ入りせずに新日本製鐵堺に入社し、日本代表としてソウルオリンピックにも出場していた野茂英雄が、ドラフト史上最多となる8球団競合の末に近鉄バファローズに入団したのが平成2年の1992年。まさに、新しい時代とともにプロ入りし活躍したスーパールーキーだった。大いに期待されて入団した野茂英雄は、プロ入り1年目から下馬評通りの大活躍をみせ、新人ながら最多勝、最多奪三振、最優秀防御率、最高勝率の投手四冠に輝くと、リーグMVP、ベストナイン、沢村賞、新人王とタイトルを総なめし、鮮烈なデビューを飾る。

奪三振だけ見ても、シーズン2ケタ奪三振試合は21回に、5試合連続2ケタ奪三振という当時のプロ野球記録も更新し、1年で球界最高の投手となった。「トルネード投法」と呼ばれる体をひねる独特のフォームから放たれる速球とキレ味鋭いフォークボールを武器にその後も三振を量産しつづけ、いつしかその高い奪三振率から「ドクターK」と呼ばれるようになった野茂英雄は、プロ入りから4年連続で最多勝と最多奪三振を獲得。日本球界で5年間のシーズンを終えた後、アメリカメジャーリーグへとその活躍の場を変えることとなるのだ。

メジャー挑戦後も、1年目に新人王と最多奪三振を獲得。2年目以降、2008年シーズンをもって現役を引退するまで、ノーヒットノーランを2回達成するなど数々の功績を残し、野球の本場アメリカでも、日本人の野球が通用することを証明し、2014年には野球殿堂入りを果たしたのである。

 

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