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田中広輔&大田泰示と共に甲子園目指すも2年連続あと一歩の挫折を経験!菅野智之/読売ジャイアンツ(東海大相模)

Text:花田雪

菅野智之の高校時代

●菅野智之/読売ジャイアンツ(東海大相模)

今季は本来の実力を発揮できているとは言えなず、東京五輪代表を辞退した菅野智之。

神奈川県相模原市で生まれ、小学1年生で入団した東林ファルコンズ、新町中と「地元」のチームで一貫して投手を務めた菅野は、父・隆志さんと伯父である原辰徳(現巨人監督)の母校にして祖父・原貢が系列校総監督を務める東海大相模に入学する。

当時から「原貢の孫・原辰徳の甥」としても有名だったが、中学時代はエースとして県大会優勝を果たすなど実績も豊富。高校入学後も着実に実力をつけ、2年時には主戦投手にまで成長した。


同年夏の県大会では4回戦、準々決勝に先発し、決勝の横浜戦では3番手で登板するも7対15で敗戦。エースとなった3年時は同学年に田中広輔(現広島)、学年下に大田泰示(現日本ハム)を擁しながら、決勝の桐光学園戦で10失点完投負け。2年連続「あと一歩」で甲子園への切符を逃している。

それでも中学時代に124キロだった球速は最速148キロまで伸び、「ドラフト候補」の呼び声も高かったが最終的には東海大への進学を決断。

大学では高校時代の悔しさを晴らすような活躍を見せ、首都大学リーグで通算37勝4敗、防御率0.57という圧巻の成績を残し、1年間の浪人を経て2012年ドラフト1位で伯父が監督を務める巨人に入団。

プロ入り後は巨人のエースへの階段を着実に上り、数多くのタイトルを獲得している。

原辰徳の甥にして、名門・東海大相模のエース。いわゆる「野球エリート」と思われがちな菅野だが、高校時代は3年間、甲子園に縁がないなど、「挫折」も経験している。

その経験がのちの成長につながり、「日本のエース」まで引き上げたのかもしれない。

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