甲子園に来てくれた43000人の阪神ファンを喜ばせたかったから山口鉄也対策だけに捧げた2013年シーズンオフ
阪神の代打の切り札となった2014年の関本賢太郎さん。
前年までいた桧山進次郎が引退したことによって、より自分にかかる責任が重くなったと言う。
当時、最も苦手だったピッチャーは巨人・山口鉄也だったという。
必ず大事な場面を任される鉄腕セットアッパーだった山口鉄也。
試合を決める大事な場面での対戦機会が多かった。
ワンストライク目を取りに来る外角のシュートがとにかく速い。
153kmとかでカウントを取りに来る。普通のピッチャーなら勝負球のレベルだ。
山口鉄也を打たないことには巨人に勝てない。阪神の優勝もない。
2013年のオフはシーズンが終わった11月から翌年3月まで山口鉄也のビデオだけを見続けた。
とにかくピッチングのデータを洗い直した。
すると、かなりの高確率でアウトコースにシュートでワンストライク目を取りに来ることが多かった。
なので、山口鉄也の外角のシュートを打つためだけにバッティングフォームを改造までした。
そして2014年シーズン開幕。
4月にサヨナラの場面でシーズン初対戦機会が訪れる。
43000人が入る甲子園。
初球にシュートが来た。
五ヶ月間ビデオで見続けたボールだ。まるでコマ送りに見えたという。
そのボールに合わせてバッティングフォームを改造してことなんて山口鉄也は知らない。
コマ送りの映像に合わせるように初球のシュートにバットを出した。
打球は三遊間を抜けた。サヨナラ勝ちで甲子園は大盛り上がり。
甲子園に来てくれた阪神ファンを笑顔に出来たことがメチャクチャ嬉しかったという。
さて、後日談。
引退後に山口鉄也にこのエピソードを話す機会があったという。
山口鉄也はとても喜んだとのことだ。
公開日:2021.12.02