助っ人外国人列伝/アメリカ1960年代編
アメリカ国籍のレジェンドを大特集!今回は1960年代に活躍した懐かしの助っ人たちを紹介する。
NPB在籍中に死去した唯一の助っ人外国人!ルー・ジャクソン
ルー・ジャクソン
NPB通算3年:(1966~1968)
329試合 打率.257 68本塁打 181打点
酒に女と豪傑だが試合でも活躍!記録より記憶に残る昭和の助っ人!ルー・ジャクソン
コンプライアンスに厳しい今の時代と異なり、豪放磊落で個性溢れる助っ人が多かった昭和中期、その象徴として思いださせるのがルー・ジャクソンだ。
1966年にサンケイアトムズ入りしたルー・ジャクソンの生活ぶりは野球選手とはほど遠く、三度の食事は焼き鳥やステーキなどの肉料理を大量のビールで流し込み、次の日が試合でも深夜までスナックやストリップに入り浸る荒んだ日々を送っていた。それでもルー・ジャクソンは試合になれば卓越した身体能力で弱小サンケイ打線の主軸として活躍し、3年連続2ケタ本塁打を記録。投手よりも速いと言われた外野からの強肩でファンを喜ばせた。
だが、ルー・ジャクソンは不摂生が響いたのか、1969年のシーズン開幕前に膵臓がんで搬送され、入院後2カ月で死去。どこか憎めない33歳ルー・ジャクソンの悲報に多くのファンや関係者が涙したという。
出典:『がっつり! プロ野球』
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公開日:2023.03.11