球界のレジェンド今なら年俸はいくら?
今や1億円プレーヤーなど当たり前になった日本球界。もしも、昭和を代表するレジェンド選手たちが現在の日本球界でプレーしたら、いくら稼ぐのか!?妄想企画、スタート!
安定した数字を残しながら連続試合出場をマーク。まさに「鉄人」の呼び名がふさわしい
連続試合出場記録を樹立した“世界の鉄人”:衣笠祥雄
【妄想生涯年俸】
42億7600万円 (年平均1億8591万円)
2018年4月23日、上行結腸がんのため71歳でこの世を去った衣笠祥雄。1970~80年代の赤ヘル黄金期を支え、2215試合連続出場は当時の世界記録で、今でも日本記録として燦然と輝いている。おそらくは、2度と破られることのない連続出場記録はもちろん、国民栄誉賞の授与、背番号3の永久欠番など、その功績は計り知れない。現役引退後もいかつい(?)顔とは裏腹の選手を思うコメントや甘い声で野球評論家として多くのファンに愛された。そんな広島が誇るレジェンドの妄想年俸、僭越ながら査定させて頂こう。衣笠祥雄のプロ入りは1965年。当時はドラフト実施前だったが、前年には平安(現龍谷大平安)の正捕手として甲子園に春夏連続出場を果たしている。とはいえ、「争奪戦が起こった」ほどの選手ではなかったこと、さらには広島という球団のセオリーを加味して、1年目の年俸は600万円に設定する。プロ入り後、捕手から内野手へと転向したが、入団後の3年間は目立った成績を残せていない。1軍出場は果たしていたので、この間の年俸は微増、もしくは現状維持が妥当だろう。
その才能が開花したのはプロ4年目の1968年。一塁のレギュラーに定着すると、22本塁打、11盗塁を記録するなど一気に飛躍。当然、年俸は大幅増…とも思うが、ベースが700万円と低いこと、広島という球団の事情も踏まえて3倍弱の20
00万円に。以降は不動のレギュラーとして広島を牽引することになるのだが、衣笠祥雄の年度別成績を見返すとあることに気づく。通算2543安打、504本塁打、1448打点、266盗塁という球史に残る数字を残しながら、1年単位で見ると突出した成績を残していないのだ。ざっくり言ってしまうと、ほぼ毎年「打率2割5分~3割、本塁打20~30本」をコンスタントに叩き出している。もちろん、それはそれで凄い。連続出場を継続しながら一定水準の数字を残し続けることは、想像以上に難しいことだ。ただ、たとえば王貞治や野村克也、同僚の山本浩二のように打撃タイトルの常連でもない限り、年俸を「飛躍的にアップ」させることは難しい。連続出場を地道に続けてきたのと同じく、年俸も高水準ではあるが緩やかに上昇曲線を描く―。これが、
現実的な数字になってくる。
とはいえ、本企画は「現在であれば」という前提のもと、妄想年俸を算出している。毎年コンスタントに数字を残す衣笠にとって、年俸が一気に上がるタイミング…。当時はなくて、今はあるチャンス。それが、FA権の取得&行使だ。衣笠祥雄がFA権を取得したと仮定して、それを行使するベストタイミング。それはずばり、1976年オフだろう。同年、31盗塁を記録して自身初のタイトルを獲得。打率.299、26本塁打とトリプルスリーに肉迫する数字を残した。所属年数と試合数を考えると、この時点では間違いなく海外FA権を保持している。年齢的にも29歳とベストだ。広島は基本的にFA権を行使しての残留を認めない球団だが、例えば黒田博樹のような「特例」もある。当然、衣笠祥雄クラスになればその特例が適用されるだろう。行使する、しないは別として、年俸が一気に跳ね上がるのは間違いない。「広島残留」を前提に考えると、その妄想年俸は3年総額9億円。安すぎる気もするが、そこは「広島」ということでご納得いただきたい。以降も衣笠祥雄は、2割台後半の打率と30本弱の本塁打をコンスタントに継続。20代中盤と30代中盤の成績がほぼ変わらない(というか、30代の方が少し良い)というあたり、「さすが鉄人」という成績を残し続ける。1984年には37歳でキャリアハイを記録し、打点王も獲得。当然、年俸はさらに上がり、衣笠の「妄想年俸」のキャリアハイはなんと38~39歳のシーズン。やはり鉄人は、凄い。
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公開日:2020.04.20