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イチロー&田口壮と共にブルーサンダー打線を牽引しオリックスのリーグ初優勝に貢献!トロイ・ニール

Text:橋本雅生

助っ人外国人列伝/バファローズ編

日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ名選手10名を紹介する。

イチロー&田口壮と共にブルーサンダー打線を牽引した!トロイ・ニール

【7位】トロイ・ニール

〈NPB通算データベース〉
・打率 .264
・本塁打 136本
・打点 435打点

名将・仰木彬が見込んだ左の大砲

阪急は前回紹介したボビー・マルカーノが在籍していた頃の第二次黄金期が終焉を迎え、1989年に親会社がオリックスとなった。昭和の終わりから平成にかけてのパ・リーグは西武が躍進し、オリックスはAクラスを保持しつつも優勝から遠ざかっていた頃である。

そこで球団はさまざまな奇策による好采配、いわゆる「仰木マジック」で近鉄を復活させた仰木彬に白羽の矢を立て、1994年からチームを指揮するようになる。

オリックス初年度を2位に導いた仰木は、長打力のある長距離砲不足を痛感し、メジャーで実績のあるトロイ・ニールの獲得に動く。1965年生まれのニール。大学時代から始めた野球で頭角を現し、1991年にインディアンス(現・ガーディアンズ)に入団する。

しばらくマイナー暮らしを余儀なくされたが、アスレチックスに移籍した途端、メジャーに昇格して才能が一気に開花する。1993年から2桁本塁打を2年連続で記録し、メジャー屈指のスラッガーであるマーク・マグワイアとクリーンアップを形成する活躍を見せていた。

その後もメジャーで活躍しそうなニールだったが、1994年に選手によるストライキが発生し、MLBは一時中断してしまう。多くのメジャーリーガーが海外に活躍の場を求め、ニールのオリックス入団はトントン拍子で決まる。

契約金と年俸は阪急・オリックス時代で最高額となる1億円であり、球団からかなり期待されての入団だった。

メジャー譲りの長距離砲が日本でも炸裂!

1995年のシーズンは、前年に210本安打で大ブレイクしたイチロー、現在オリックス一軍コーチを務める田口壮、ニールと同時入団のD・Jとつながるブルーサンダー打線の主砲を成す。

元アスレチックスの4番は伊達ではなく、身長191センチ、98キロの腕っ節から繰り出されるスイングは強力だった。三振も多かったが、芯に当たれば瞬間的にそれとわかる豪快アーチを連発。27本塁打、70打点でオリックスとしての初優勝に貢献し、指名打者としてベストナインに輝いた。

しかし、ヤクルトとの日本シリーズでは、内野ゴロで全力疾走を怠って併殺打に倒れたことで球団代表が激怒し、解雇騒動が起きたこともあった。

土壇場で残留となった2年目のニールは、32本塁打、111打点で二冠に輝くキャリアハイの充実したシーズンとなった。この成績は数字だけはなく内容も伴い、試合を決める一発や固め打ちで長距離砲として文句の付けようがない大車輪ぶりだった。

1シーズンに3本のサヨナラ弾のほか、ペナント終盤の重要な時期にあたる8月後半からは、12試合で50打数20安打の打率4割、8本塁打、30打点の固め打ちで大暴れしている。

この年から3番に定着していたイチローとのクリーンアップが破壊的に機能し、イチローが出てニールが返す攻撃でペナントを独走し、2年連続リーグ優勝して仰木監督を喜ばせた。

メークドラマを成し遂げた巨人との日本シリーズでは持ち前の長打力が止まるも、放った3安打がすべて2点タイムリーで6打点をマーク。日本シリーズ打率.176ながらMVPを獲得。このときインタビューで神戸の街を元気づけた「ガンバロウ、コウベ!」の絶叫が印象深い。

適当に振ったバットでまさかのホームラン!

1997年のニールは、前年より多少ダウンするも主砲として及第点の成績を挙げた。それでもリーグワーストの三振を記録したことで電撃的な解雇となってしままう。

ただ、チームにとってニールの抜けた穴は大きかった。開幕から1ヵ月でわずか2勝しかできないオリックスは、アメリカのマイナーでプレーしていたニールを呼び戻し、5月に復帰する。

1998年のシーズンもニールの長打力に衰えはなく、1イニング2本塁打、2試合連続2打席連続本塁打など固め打ちを披露。108試合の出場で28本塁打、76打点と面目躍如を果たした。

また、8月のダイエー戦では、腹痛のまま試合に出場したことで珍事が起こる。試合が始まると激しい下痢におそわれた、回ってきた1打席目は適当にバットを振ってベンチに下がるつもりでいたという。だが、バットに当たったボールは緩やかな放物線を描き、そのままスタインドインしてしまう。

爆発寸前のニールは苦しい顔の不自然な体勢でダイヤモンドを一周すると、ハイタッチを無視してそのままトイレに猛ダッシュ。事情を知っているチームメイトの爆笑を誘っている。

こうして記録にも記憶にも残るプレーを続けたニールは、2001年に現役退く。引退後は実業家の道に入り、南太平洋諸島にあるバヌアツ共和国のリゾート開発で成功を収める。現在は南国のリゾート地・バヌアツでクリケットの代表チームを指導しながら優雅な生活を送っている。

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