助っ人外国人列伝/中日ドラゴンズ編
日本球界を彩ってきた助っ人外国人選手たち。「ラブすぽ」が独自に選んだ選手を紹介する。
ラミレスや阿部慎之助などの強打者を強気のピッチングで打ち取った巨人キラー!チェン・ウェイン
【投手第3位】チェン・ウェイン
〈NPB通算データベース〉
・勝利 37勝
・敗戦 33敗
・セーブ 1S
・ホールド 14H
・防御率 2.60
一度は育成契約になった苦労人
郭源治の成功以来、台湾の有望選手を青田買いしてきた中日。2003年から台湾出身の大豊泰昭がアジア地区担当スカウトを務め、スカウトしたのが陳偉殷(チェン・ウェイン)だ。
1985年に高雄で生まれた左腕投手のチェンは、高校時代に1試合で22三振を記録するなど非凡な才能を見せ、メジャー球団を含めて数球団から注目を集める。
チェンは直接アメリカに渡る選択肢も考えたが、大豊の強い勧めもあって2003年に大学に在籍しながら中日に入団。まだ18歳で身長183センチながら線の細かったことから体づくりから始め、徹底的な走り込みと投げ込みの日々を送る。
当時の中日は川上憲伸、吉見一起、山本昌、岩瀬仁紀などの名投手が第一線で活躍しており、一軍の投手枠に入ることが厳しかったが、2005年に待望のデビューを果たして初セーブ&初ホールドを記録している。
そして、いよいよ本格化が期待されたチェンだが、2006年のシーズン。だが、左肘の靱帯断裂と疲労骨折が判明して手術を受け、育成契約になってしまう。
通常、育成に落ちた助っ人外国人はそのまま退団するケースが多い。だが、投手としての才能を見抜いていた監督・落合博満はチェンの復活を待っていたという。
復帰後は試合をつくれる本格左腕に成長
怪我から復帰した2008年は先発と中継ぎとして登板しながら適性を試し、最速154キロで伸びのあるストレートと鋭く曲がるスライダーを武器に躍動する。9月にはプロ初完封勝利を挙げ、7勝、14ホールドを記録して手応えを掴んだ。
2009年からは先発に転向しているが、落合からインコース攻めの割合を増やすようなアドバイスを受けると、これが見事にアジャストする。
チェンの投球スタイルはスリークォーターで、右肩が最後まで開かないためにボールの出所がわかりにくい。ストレートとスライダーの球速がさほど変わらないことからインコース攻めが効果的だったのである。
コントロールも良かったことから、乗っているときのチェンから安打を打つは至難の業であり、得意のクロスファイヤーを有効活用して打者を手玉に取った。
チェンが登板するとなぜか援護に恵まれない試合が多いため、同シーズンは8勝止まりだったが、そのうちの4勝が完封。2位以下に大差を付ける防御率1.54で最優秀防御率のタイトルを獲得した。
2010年はローテーションの主力となり、開幕から好投を続ける。このシーズンも打線の援護が少ないことで勝ちに結びつかない試合が目立ったが、7月には負けなしの4勝を挙げ、年間13勝、防御率2.87でリーグ優勝を立役者となった。
なお、チェンはとくに巨人戦に強いジャイアンツキラーであり、アレックス・ラミレスや阿部慎之助などの強打者でも強気のピッチングで打ち取っていた光景が印象深い。先発として試合をつくり、宿敵・巨人をなぎ倒す若き助っ人の雄姿に中日ファンは心強かっただろう。
メジャーでも成功を収め再び日本へ
2011年も先発として変わらぬ安定感を見せたチェンだったが、以前から公言していたメジャー挑戦の意思が尊重されて同シーズンをもって退団。2012年からオリオールズでプレーすることになった。
このとき27歳と投手として油の乗っていたチェンは、メジャーの舞台でも躍動。4月のホワイトソックス戦で初勝利を手にすると、6月には台湾人メジャーリーガー最多の12奪三振を記録。チームの勝ち頭となる12勝を挙げて世界最高峰のリーグでも通用することを証明している。
2014年にはリーグ4位の16勝を挙げ、2016年にはマーリンズと5年総額8000万ドルの超大型契約結び、台湾メジャーリーガーの大物である王建民に次ぐ2人目となる開幕投手を務めた。
しかし、マーリンズ時代は度重なる左肘の故障によって本来の投球ができず、2020年はロッテに移籍してNPB復帰を果たした。
2021年には阪神に移籍。全盛期に近い球速が戻り、ローテーション入りが目されていたが、一軍の勝利は古巣・中日相手の1勝に終わっている。
やはり、長年の疲労によって肘と肩は万全の状態ではなく、2022年のシーズン中に阪神を退団することを発表。今年で39歳になるチェンだがプレーヤーとしての道を模索し、2023年に左肩の手術を受けた。現在はアメリカで再起を図り、元巨人・高橋尚成の公式YouTubeチャンネルで元気な姿を見せている。
公開日:2024.02.18