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4人目の日本人NBAプレイヤー、河村勇輝のルーツ! 非凡な才能が開花していた高校時代の驚異的なスタッツとは! 〈全3回の第1回〉【バスケ】

メンフィス・グリズリーズ河村勇輝! NBA選手になるまでの軌跡!

2024‐25シーズン、メンフィス・グリズリーズとツーウェイ契約を結び、田臥勇太(現宇都宮ブレックス)、渡邊雄太(現千葉ジェッツ)、八村塁(現ロサンゼルス・レイカーズ)に次ぐ日本人4人目のNBAプレイヤーとなった河村勇輝選手。172センチと日本人としても平均的な身長ながら、クイックネスとパスセンスで本場アメリカのファンを魅了する河村選手ですが、昨シーズンまでは日本のBリーグ、横浜ビー・コルセアーズでプレーしていました。今回は、そんな河村選手がNBAにたどり着くまでの軌跡をご紹介します。
【全3回の第1回】

山口県柳井市出身の河村選手は、中学時代に全国ベスト16を経験し、早い時期から世代トップレベルのプレイヤーとして注目を集めると、高校バスケ界屈指の強豪校として知られる福岡第一高校に進学。同校では3年間で計4度、全国大会を制覇するなど世代トップレベルのポイントガードとして全国にその名を轟かせます。特にウィンターカップでは2~3年時に連覇を達成。2年時には決勝の中部大学第一戦を85対42のダブルスコアで下し、3年時には決勝で福岡大付属大濠との「福岡対決」を75対63で制し、河村選手自身もチーム最多11アシストをマークしています。

また、同年行われた天皇杯では社会人チームやB3の鹿児島レブナイズを下して高校では唯一の2次リーグ進出。のちに日本代表でともに戦う富樫勇樹率いるB1の千葉ジェッツとトーナメント1回戦で当たり、73対109と敗れはしたものの、試合終了の瞬間までどん欲にゴールを狙う姿勢は多くのファンを驚かせました。ちなみにこの試合、河村選手は21得点10アシストのダブルダブルを達成。また両チーム最多の6スティールを記録するなど、鮮烈な印象を日本のバスケファンに与えました。

そしてウィンターカップ終了直後の2020年1月にはB1の三遠ネオフェニックスに特別指定選手として加入。同25日のジェッツ戦で18歳8カ月23日のB1最年少出場&得点記録(当時)をマークし、鮮烈なデビューを果たすと、約3カ月間だけの在籍ながら、11試合で平均12.6得点、2.0リバウンド、3.1アシストというスタッツを残します。

当時の河村選手はまだ現役の高校3年生。にもかかわらず、日本トップレベルの富樫らと対等に渡り合うプレーは多くの観客を驚かせ、最年少デビューを果たして以降も試合に出場するたびにその様子がスポーツニュースで取り上げられるフィーバーを起こします。

しかし同年3月。高校を卒業した河村選手がセレクトした道は、Bリーグ入りではなく東海大学への進学でした。ちなみに、バスケ界では高校トップレベルの選手がプロではなく大学に進学するケースは決して珍しいことではなく、河村選手が進学を決めた東海大学は大学バスケ界でもトップレベルの実績と充実した練習設備を誇ることでも知られており、当時はこの選択に否定的な意見はほとんどありませんでした。

とはいえ、Bリーグの舞台でもその実力が十分通用することを証明して見せた河村選手。多くの関係者が大学4年間でさらに実力を付け、卒業後に満を持してBリーグ入り――という青写真を描いていたはずですが、結果として河村選手はそんな未来予想図をさらに凌駕する活躍を見せることになります。
【第2回へ続く】

文・花田雪

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