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NPB史上大卒最多通算536本塁打を放った山本浩二の年俸は今ならいくら!?

球界のレジェンド今なら年俸はいくら?

今や1億円プレーヤーなど当たり前になった日本球界。もしも、昭和を代表するレジェンド選手たちが現在の日本球界でプレーしたら、いくら稼ぐのか!?妄想企画、スタート!

大器晩成型が年俸に大きく影響!?

カープ黄金時代を築いたミスター赤ヘル:山本浩二
【妄想生涯年俸】
59億1700万円 (年平均3億2872万円)

「ミスター赤ヘル」としてカープの黄金時代を築いた山本浩二。通算536本塁打は大学出身者としては日本プロ野球史上最多。現役引退後もカープや侍ジャパンの監督を歴任し、今なお広島では圧倒的な人気を誇る。そんな球史に残る大打者が、現代プロ野球でプレーしていたら、その年俸はいかほどか……。超高額になるのは間違いない……と思いきや、その野球人生を振り返ると意外な結果が見えてきた。山本浩二は1968年ドラフト1位で法政大から広島に入団。大学時代から田淵幸一、富田勝とともに「法大三羽ガラス」と呼ばれた有力選手であり、1年目の年俸は今なら新人上限の1600万円になるのは間違いない。ただ、キャリア初期の山本浩二は決していきなりスターダムに上り詰めたわけではない。プロ1年目から1軍に定着し、レギュラーも務めたがその数字は決して「超一流」のそれではなかった。所属が広島ということを考えても、プロ入りからしばらくは年俸の大幅アップは考えにくい。現代でもその金額は緩やかな上昇曲線を描く程度にとどまったはずだ。

山本浩二:年度別成績&妄想年俸


転機となったのはプロ6年目の1974年。この年はシーズン通して3番打者に定着し、リーグ5位となる28本塁打を記録。それまでの実績も加味され、このあたりで年俸もようやく大台の1億円に乗るだろう。翌1975年には4番に定着。打率・319で首位打者に輝き、自身初の30本塁打も記録するなど、その才能がようやく開花のときを迎える。山本浩二の年度別成績を見返すと、典型的な「大器晩成型」なのが分かる。通算536本塁打のうち、30代以降で放った本塁打は実に367本。本塁打王4度、打点王3度もすべて30代で獲得している。ただ、「年俸」の面で見ると実はこの大器晩成型は確実に不利に働く。選手の年俸は基本的に、前年の年俸をベースに算出される。ベースが低ければどれだけ活躍しても大幅なアップは望めないため、「生涯年俸」を考えれば、いかに若いうちに成績を残すか=ベース年俸を早めに上げられるか、が重要になる。特にFA制度のある現在は、その傾向が顕著だ。例えば20代前半~中盤から主力として活躍し、ベース年俸を高いレベルでキープできていれば、20代後半~30代で迎えるFAの時期に高額の契約を手にすることができる。昨年、FAで移籍した丸佳浩、浅村栄斗などを見ても、それはわかるだろう。

しかし、山本浩二の場合は20代後半になってようやく本格化。現在なら国内FA権を取得するプロ8年目終了時点では、打率3割、本塁打30本を各1回ずつしか記録していないさすがにこれでは“超巨額”の契約を掴むのは難しいが、山本浩二が地元・広島に大きな愛着を持っていたことも加味して、FA権をそもそも行使しない、もしくは1年待ってプロ9年目のオフに海外FA権を行使すると仮定してみた。プロ9年目の1977年であれば、山本浩二が自身圧のシーズン40本塁打と100打点をマークした年。これならば、年俸の大幅アップも期待できる。史実では現役生活を広島で全うしていることから、ここでは宣言する、しないにかかわらず、「広島に残留した」と想定して妄想年俸を算出。その査定額はズバリ4年総額20億円だ。他球団移籍であればさらに好条件も期待できるが、ここはあえてリアルかつシビアに妄想してみた。ただ、前述のとおり山本浩二は「大器晩成型」。30代後半に差し掛かっても、その打棒は一向に衰えなかった。35歳シーズンでも43本塁打で2年連続本塁打王、103打点で3年連続打点王。こうなると、いくら広島とはいえ年俸を上げざるを得ない。広島の球団最高年俸は、黒田博樹の6億円(2016年)。この数字は“特例”ともいえるものだったが、山本浩二であればこの数字を上回っても異論はないはずだ。現役最終年も27本塁打を放つなど、最後まで赤ヘルの主砲としてプレーし続けた。生涯妄想年俸59億1700万円は実績を考えるとやや少なく思えるかもしれないが、それでも十分すぎる数字だろう。

 

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