北海道にも“県名”があった!? わずか4年で廃止された理由とは【眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話】


3県が設置されるも4年後に廃止
行政管理上の地域区分を表す全国47の「都道府県」のうち、唯一の「道」である北海道。これは、かつて日本では東海道や山陽道など「七道」と呼ばれる行政区画があり、蝦夷地が日本の直轄地になった際、政府がその命名規則に則って「北海道」を追加した形になっています。
なお、北海道という名称は、幕末の探検家・松浦武四郎が明治2年(1869)に明治政府に提案した「北加伊道」が由来とされていますが、松浦が名づける以前からあった案でもありました。
ちなみに、北海道にも県が存在した時期があります。明治15年(1882)に開拓使が廃止された際、北海道に「函館県」「札幌県」「根室県」が設置されました。しかし、開拓をめぐって3県と北海道事業管理局の意見が食い違い、かえって開拓の障害となったことから、明治19年(1886)に3県および北海道事業管理局を統廃合して北海道庁が設置され、県は廃止。以降、他県より行政区が大きいこともあり、県名がつかないまま現在に至っています。
また、明治4年(1871)の廃藩置県で旧松前藩が館県になった際、ほどなくして弘前県(のちの青森県)と合併したことから、北海道の一部が弘前県(青森県)になっていたこともあります。ただし、この期間はわずか1年ほどで、その後、開拓使(北海道)に移管されました。
かつて北海道にあった「県」
分領支配時代
明治2年(1869)、蝦夷地は「北海道」と名づけられ、11国86郡を設定。この地を管轄する役所として開拓使が置かれましたが、初期には諸藩や兵部省、寺院なども支配を命ぜられ、各地域が割り当てられました。しかし、あまり成果がないまま明治4年に制度は廃止されました。

3県一局時代
明治15年(1882)、北海道開拓使による10カ年計画の終了に伴って、函館・札幌・根室の3都市を県庁として3県が設置(廃使置県)されました。しかし、わずか4年後の明治19年(1886)に、3県一局による北海道統治は不合理と判断され、北海道庁が設置(廃県置庁)されました。

青森の一部だった北海道
松前藩は、明治2年(1869)の版籍奉還によって館藩となり、さらに明治4年(1871)の廃藩置県で館
県となったのち、同年に青森の弘前県と合併。しかし翌年、旧館県所属の4郡(爾志郡・檜山郡・津軽郡・福島郡)が開拓使(北海道)に戻され、函館支庁所属となりました。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 北海道の話』監修:和田 哲
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